人はなぜ死ぬのでしょうか?聖書から「死の起源」について、「人はなぜ死ぬようになったのか?」というお話を取り上げ、考えてみたいと思います。

Q・「死ぬのが怖いです。怖くて、怖くて、仕方がありません。」

以前、ある方から、こんな手紙をいただきました。

「人間というものは、こうやって、完治不能な不具合が、一つ、また一つと増えていき、やがては死に至るのかと思うと、背筋が凍る思いが致します。自分は、正直言って、死ぬのが怖いです。怖くて、怖くて、仕方がありません。でも、いつかは死ななければならない。必ず、死ななければならない。この事実が、自分を絶望に陥れます。・・・」

柏木哲夫という終末医療に携わるクリスチャンのお医者さんが、こんなことを文章に書いているので、ご紹介したいと思います。タイトルは・・・「人間の死亡率は100%」という文章です。

サマセット・モームの残した有名な言葉があります。

「この世には多くの統計があり、その中には数字のまやかしも存在する。しかし、絶対に間違いのない統計がある。それは人間の死亡率は100%であるという統計だ」というものです。確かに人間の死亡率は100%、この世に生を受けた人は独りの例外もなく、死を迎えます。

しかし、私たちの日常生活で、自分の死についてあまり考えないのではないでしょうか。特に若い時は、やがて死ぬということは観念的には分かっていても、死は遠くにあるもの、すなわち生の延長上に死があると思っているのではないでしょうか。老人になって初めて、死を身近に自覚するようになるのかもしれません。」

出典柏木哲夫「人間の死亡率は100%」

聖書に書かれている「死の起源」

聖書には、死の起源が記されています。それは、人間の罪の堕落の結果だというのです。

私たちは、この世界に死があること、そして、自分も死ぬことを、ある意味、自然なことのように考えているかもしれません。

しかし聖書は、この世界に死があること、そして、この世界に生まれてきた私たちが死に定められているのは、決して自然なこととはみなしていません。ある出来事の結果だと告げているのです。それは、つまり、最初の人類の祖であるアダムが神に対して罪を犯した、罪の堕落の結果です。

神は最初の人類であるアダムを資源も食料も豊かなエデンの園に置かれました。アダムはエデンの園にあるあらゆる良きものを享受することができました。しかし、神は、アダムに禁断の木の実、すなわち善悪の知識の木から取って食べてはならないと命じられました。

そして、それを取って食べる時、あなたは必ず死ぬと警告されました。その命令には、この世界とエデンの園を創造した神の主権が現わされており、人間は創造主であり主権者である神に従ってこそ神の恵みを享受して豊かな人生を生きることができ、神に背くなら呪いと死を招くことが表されていたのです。

アダムはこの神の命令に背き、禁断の木の実から食べてしまったのです。そして、神が食べてはならないと命じておいた禁断の木の実から食べたので、アダムは死に定められ、またアダムから生まれてくる全ての人間、そして、この世界までもが呪われ死に定められたと、聖書は告げているのです。

人類の祖であり代表であるアダムが神に罪を犯した結果、アダムから生まれてくる全ての人間、全人類が、罪と死を負うことになったのです。ですから、聖書の『ローマ人への手紙』というところに、こう書かれています。

「そういうわけで、ちょうどひとりの人によって罪が世界に入り、罪によって死が入り、こうして死が全人類に広がった。」

私たちが死に定められているのは、そのように人間が神に背いた罪の結果なのです。

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東京基督教大学神学部神学科卒、webライター1級

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