皆さんには、明確な「自覚」がありますか?
自分がどんな存在で、何を望んでいるのか、はっきりと自覚したことがあるでしょうか?

上記の事柄が明確に自覚できていないというのは、自分自身の軸(=アイデンティティ)が固まっていないということ。
そうなると「考え方と行動を一貫させることができない」「主体的な行動がとれない」などといった問題に悩まされがちになります。

ここでは、自覚に至るためのプロセスを紹介します。
自分の中の「内なる声」に耳を傾け、静かに自分と向き合い、少しずつ自分自身の軸を固めていきましょう。

「自分は人間である」と意識する

あなたは普段、自分が何であるか、例えば自分のことを犬なのか猫なのかと思い悩むことがあるでしょうか。
よほど精神的に参ることでもない限り、そんなケースはないと思います。
あくまでも「人間である」という意識を持っているはずです。
この「自分は人間である」という意識を積極的に持つことが「自覚」を深めるための第一歩なのです。

「人間としての自覚」を持っているなんて当たり前、と思うかもしれませんが、生物学的にはこれは、奇跡的な事なのです。
犬は、自分が「犬」だと思っているでしょうか、猫は、自分が「猫」だと思っているでしょうか。

「自分は人間である」という自覚が初めて生まれるのは、3~4歳になってからだと言われています。

そもそも、人間の身体は「炭素」「酸素」「窒素」「水素」などの元素によって構成されていますが、これらが組み合わさるとなぜ「生命」が生まれ、「意識」が生じるのかは、解明されていません。
ましてや「人間であるという自覚」がどうして生まれるのか。
それはもはや「奇跡」としか言いようがないのです。

まずはこの「奇跡」を、存分に噛みしめてみましょう。

「自分1人で生きているのではない」ということを知る

自分が今、真っ暗闇の中にいると想像してみて下さい。
周りも見えず、自分自身の姿さえ見えません。
このような環境では、自分自身の存在すらあやふやになり、意識しにくくなります。

そこに一筋の光が差し込んだとしたら、どうなるでしょうか?
その光が自分に当たれば、自分がどんな姿なのかを目で見て確認し、意識することができるようになります。
さらに周囲が明るくなれば、自分がどんな場所にいるのか、周囲には何があって誰が居るのかなど、自分だけでなく自分を取り巻く環境をも理解することが可能になります。
周囲が見えるようになって初めて気づくような、自分の性質などもあるでしょう。
「独りでは生きていない」というのは、このように、周囲に誰かがいてくれることで初めて確認できる、自分にとっての何かがある、ということなのです。

環境と自分との存在を理解すると、やがて全体の中での自分、自分を取り巻く人間関係や組織、また社会と自分との位置関係へと意識が広がります。
そうして広がった意識の光は、めぐりめぐってあなたを照らし、あなたの存在意義や存在価値を、照らして、あなたにそれを気づかせてくれます。
そうして初めて、社会の中であなたに何ができるかが分かってきます。

「内なる声」に耳を傾ける

「自覚」を安定したものとするために、まず自分の心の内に光を当て、自分はどんなことを考えているのか、自分はいったい何がしたいのかを静かに問いかけてみましょう。
すると、やがて自分の中から「内なる声」が湧きあがってきます。
この「内なる声」にきちんと耳を傾けるということが、自覚を身につけるということなのです。

自分の「内なる声」は、初めは本当に小さなものです。
ですから、周囲が騒々しかったり、自身の心が不安などでざわついていると、折角湧き上がってきた「内なる声」も、耳には届かなくなってしまいます。

意識して毎日、静かに心を落ち着ける時間を持ってみましょう。
静かな音楽を聞いたり、お風呂にゆっくり浸かるなどして、心を落ち着ける時間を作るのです。
1日に10分でも20分でも「心が静寂になる時間」を持つようにすることで、初めは小さくて聞き取りにくかった「内なる声」が、だんだん聞きとり易くなっていきます。

すぐに反応するのではなく、時間をおいてから考えてみる。

自覚のある人でも、時には自覚を失ってしまうことがあります。
俗に「我を失う」という状態ですが、これは「パブロフの犬」でよく知られる「刺激→反応」という風に動いているときに起こります。
たとえば、ノルマに追いかけられるままひたすら仕事をしているときは、まさに外部からの「刺激」に対して、闇雲に「反応」しているだけの状態です。
忙しさを言い訳にしてこれを続けていると、文字通り「忙殺」され、「心を亡くした」状態になってしまうのです。

「刺激」と「反応」との間に、時間的な隙間を空けましょう。
自分がいったい何がしたいのか、何を目的としてやっているのか、自分の目標は何なのか。
「反応」する前に、これらを自分に問いかけるのです。

「刺激」と「反応」との間に隙間を空けるためには、「意識して静かな時間を持つ」ことです。
忙しい日々の中で敢えて立ち止まり、自分の中から聞こえてくる「内なる声」に耳を傾けるのです。
「内なる声」によって「自覚」が呼び醒まされると、「刺激と反応」の間に「自分の反応を選択できる意識を持つ」ことができるようになります。

「3つの目」で自分を観察してみる

「私はこういう人間だ」と思っていても、そこには当然、固定概念があります。
それはあくまでも自分から見た世界であり、一方的な見方でしかないのです。
「自分は客観的な判断を下している」という判断そのものこそが主観的であると言えるでしょう。

冷静に自分を観察するには、「3つの目」を意識すると効果的です。
たとえば、生活の場面では、1:自分の目、2:家族の目、3:自分を取り巻く人たちの目、という3つの視点。
仕事であれば、1:自分の目、2:上司の目、3:お客様の目、という3つでもいいでしょう。

3つの目で、自分を観察してみましょう。

自分の肩書きについて考える

ここでいう肩書きというのは、いわゆる仕事上のものではありません。
自分が何者であるかを考え、それに名前をつけようという提案です。
人間は、自分の生き方をどのようにとらえ、自覚するかによって、思考や行動のパターンが変わります。

自分の生き方を振り返って、自分なりの「肩書き」を作ってみましょう。
周囲の目を気にする必要はありません。
あなたが、あなただけのために作る「肩書き」であることが大切です。

「肩書き」を作ったら、それは(誰のためのものなのかではなく)何のためのものなのか、考えを巡らせてみましょう。
難しければ紙にその「肩書き」を書き、自分なりの「名刺」を作ってみましょう。

そこにどんなことを書いても構いません。
白い紙でなくて、色画用紙に書いても構いませんし、形も、長方形である必要はありません、好きな形に切って下さい。
自分の好きな言葉を載せたり、色鉛筆などで挿絵をつけても良いでしょう。

これは、アートセラピーの一種です。
このような名刺は、何度作り直しても構いません。

「積極的な背伸び」によって心を揺さぶらせてみる

考え方と行動とが首尾一貫している人の事を「軸がぶれない人」と呼ぶ事があります。
しかし、軸も心も全く揺れないという人はいません。

時には安易な方向に心が揺れる事もありますが、そんな時こそ何とか踏みとどまりましょう。
それによって、自分の軸を再確認し、それを自覚する機会が得られます。
逆に言えば、自分の軸を再確認してはっきりさせることができるのは、心が大きく揺れているまさにその時なのです。

自分自身と向き合って深く考えることは大切ですが、机の上であれこれ考えているだけでは、本当の意味での安定した自覚を得ることはできません。
考え付いた事を行動に移し、時には安易な方向に心が揺れる中で、自分がどのように感じてどのような行動を選ぶのか。
これを見極めてこそ、自分のアイデンティティを自覚する事が出来るのです。

だから、なかなかうまくいかないことをこそ乗り越えようとしてみましょう。
少しだけ背伸びをしましょう。
そうして心をわざと揺らして、自分に何が起きるかを観察してみて下さい。

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通信制大学にて心理学を専攻していましたが、どうにか2014年の3月に、無事に卒業となりました。

虐待(近親姦含む)や性暴力被害、デートDVや共依存の泥沼などにより病み、カウンセリングと投薬によって治療中です。

統合失調症
複雑性PTSD
自閉症スペクトラム障害
…この3つが複雑に絡み合ってるっぽいです。
摂食障害とかもあります。

2012年の夏まで3年半ほど、学習障害を抱えた生徒たちのための、寺子屋式の塾にて働き抜きました。

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