馳浩といえば、元プロレスラーで安倍内閣の文部科学大臣を務める現役の閣僚。プロレスファンなら現役時代を含め、馳の人となりやその経歴をよく知る人は多いだろう。しかし、大臣になってはじめてその名を知ったという人が世間に多くても不思議ではない。

政治家になるのは、少年時代からの夢だった

今でこそ、政治家に転身するプロレスラーは珍しくない。馳浩の前職がプロレスラーと聞きけば、「何だ、見世物商売あがりのまがい物か」と、眉を顰める向きもあるだろう。実際、私腹を肥やす目的で政界へ飛び込む輩がどれだけ多いか、醜い権力争いを見るまでもなくその実態は知れたものである。

しかし、国語の教師からプロレスラー、そして政治家と、華麗な転身を遂げてきた馳浩の場合、どうだろうか。彼は、幼い頃より政治家になるという大志をもっていた節がある。それどころではない。彼が政治家になることを、予言していた人物もいたのだ。

馳はひょっとしたら本物の政治家たる器かもしれない。その片鱗は、「少年はせひろし物語」の中から拾い出せる。

「少年はせひろし物語」から読み解く馳浩の政治家としての資質

まず、幼少時代から見ていこう。

「わし行くちゃ!養子に行くちゃ!」
あとから思えば、この瞬間、富山生まれの少年が金沢の代議士になる道を自分自身で選び取ったのである。

出典 http://www.incl.ne.jp

馳浩は養子だったのだ。三男坊に生まれた馳少年は、この家にいても大成する見込みはない、それじゃ、家を出て活躍できる場を選んだほうがマシではないか。養子の話が出たとき、馳少年は迷わず生家を飛び出す道を選択、金沢の親戚である馳家を継ぐため、「馳浩」としての人生をスタートさせる。

何がすごいって、8歳にして、そこまで将来を見通して果断な行動に出たことである。この決断力、客観的な分析力、戦略性、長期的視野は政治家として天分の素質ではないか。

「よし!わしが学校を立て直す」

「わし生徒会長に立候補する!」
その公約がまた変わっていた。
「僕が生徒会長になったら、毎朝、一番に登校して学校中を掃除します!」

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中学時代、校舎が焼けるという事件が発生。犯人は同校の生徒で、受験勉強を苦にして放火したのだった。馳少年は罪も生徒も憎まず、受験に悩んでいたという心に寄り添った。そして、自分にできることは何かと考え、生徒会長に立候補、見事当選を果たすのである。

この姿勢、まさに現職ポストにふさわしい。馳を突き動かしたのは、生徒の不幸な事件というより、明鏡止水ともいうべき彼の精神ではないだろうか。

馳は見事生徒会長に当選し、公約通り毎朝早朝に登校して校舎の清掃に勤しんだ。自ら身を張って学校のために尽くす。まさに政治家としてあるべき姿といえる。

「お前は総理になる」と予言した人が2人も!

「僕は運動選手になって海外に試合に行きたい!スポーツ推薦を受けて、ただで大学に行きたい!そして国語の先生になりたい!休みの日は家のリンゴ栽培を近代化してお金を稼ぎ、両親を楽にさせたい!」

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馳が中学3年のとき、「私の主張コンクール」で優勝を飾ったときのスピーチである。往年の馳ファンであれば、国語の先生になる、までの夢はすべてかなえていることはお気づきだろう。そして、もしプロレスラーになっていなかったら、リンゴ園の近代化という夢もこの男なら実現していたであろうと容易に想像される。

しかし、このとき、馳の将来について、もっと重大な言葉を残した者がいた。

「いい夢だね。でも君は将来、別のとんでもない大物になる気がするな」

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コンクールの審査員の、馳少年に向けた発言である。別のとんでもない大物とは何であろう?このときの馳には何のことか想像できなかったらしいが、やがて高校進学後、あの有名な野球部監督の言葉で、その輪郭が浮かび上がることになる。

「馳、お前は将来、総理大臣になる男や!」
「そんなバカな」と思ったが、初めて政治家を意識したのは、このときだったかもしれない。なぜ、山下監督はそんなことを言ったのか、後で聞いても監督は「なぜって。俺はそう思ったんだよ」と笑うばかりだが。

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山下監督とは、馳の母校、星稜高校の野球部監督。あの松井秀喜を育てた名将としても知られる。母校を全国屈指の強豪校に育て上げ、何度も甲子園に導いた山下監督から目を付けられていた馳は、スポーツ選手としての素質ばかりでなく、「日本のトップになれる器」と太鼓判を押されたのである。

政治家転身の理由は北朝鮮?

馳はその後、スポーツ推薦で専修大学に進学。レスリング部で学生チャンピオン、全日本選手権優勝、ロサンゼルス五輪出場の輝かし功績を残す。

卒業後は母校星稜高校で国語の教師として教鞭をとるが、レスリングを愛する男はプロレスラーに転身、活躍の場を教壇から熱闘リングに移した。プロレス時代の馳の活躍は周知の通りである。華麗なテクニックと颯爽とした風貌。サラサラヘアにダンディなチョビ髭。佐々木健介との馳健タッグ。「ノーザンライト・馳浩」が残したイズムは今もプロレス界に息づいていることだろう。

幼いころに漠然と抱いた「政治家になる夢」は、熱くたぎるプロレスの世界に身を置いても蒸発することなく、残り続けたらしい。1995年に参議院議員選挙に出馬、初当選を果たし、国会デビュー。そして、2006年にプロレス引退。2015年10月、文部科学大臣を拝命。


馳が政界に身を転じた理由について、「少年はせひろし物語」はこう語っている。

レスリングを通して世界各国を見たことも政界に入った理由の一つだ。その中には北朝鮮も含まれる。

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政治家になった理由の一つが世界各国を見てきたことだと吐露し、その中には北朝鮮も含まれると、わざわざ名指しで取り上げている。個別に国名を挙げているのは北朝鮮だけである。かの国に、何か特別な思い入れでもあるのだろうか?

馳は、日朝国交正常化議員連盟、日朝友好議員連盟に所属する議員でもある。それと同時に、自民党の拉致問題対策特別委員会の幹事も務める。

平成26年5月25日 はせ日記
午前4時36分起床、やっぱり、歩行困難。
寝ててもじんじんと、しびれる。
かかと、大丈夫か?
午前9時、北区十条へ。
2年に一度開催される、朝鮮総連全体大会。
朝鮮高校の隣にある、東京朝鮮文化会館大講堂へ。
超満員、2000名の全国からの参加者。
昨日は、松浪健四郎日体大理事長、維新の会アントニオ猪木参議院議員、公明党遠山代議士、社民党又市参議院議員と、各党の代表が来賓ごあいさつされたとのこと。
自民党代表は、日朝国交正常化議連の衛藤征四郎代議士。
ところが。
昨日、衛藤代議士の親族の不幸があり、葬儀委員長を務めるということで、不肖馳浩が、代理でメッセージを拝読。
また、2020オリパラ東京大会の実施本部長としてもごあいさつ。
「2020年、ぜひ、在日からも五輪代表となっていただきたい。議長のお許しがいただければ、日本レスリング協会副会長の馳浩が、北朝鮮レスリングチームの監督として、在日の選手を厳しく育成しますよ!」
と、気合メッセージ。
在日朝鮮人の歴史とは、紐解くまでもなく、朝鮮併合~大東亜戦争~朝鮮戦争の中で、日本とは国交正常化できないままに国内で生き抜いてきた。
近代史における、朝鮮民族の誇りが充満する朝鮮総連という組織。
平壌宣言に基づいて、拉致・ミサイル・核兵器の困難を乗り越えて、いつの日か国交正常化できますように。

出典 https://www.facebook.com

もし、将来、馳が総理大臣になって、そのとき、依然として拉致被害者が日本に帰国できていない状況だとしたら、何としてでもこの悪しき問題に終止符を打ってほしい。馳を本物の政治家として認めたい一国民として、心からそう願う。

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