始めに。

所謂「保育園落ちた」という保育園に入園出来なかった方の不満をぶちまけたブログに端を発して、様々な意見が飛び交っている現状。

かくいう私もこの件に関しては以前にも記事を書かせて頂いたが、私個人的に、とても重要な事であると認識しているので、現状を鑑みて黙っていられなくなり、再度、記事を書かせて頂こうと思う。

何が問題!?

記事のタイトルにもしてある様に発端となったブログの記事には不適切な言葉が含まれていると私は思う。それも引用する事さえ憚るべきものだと考えている。

勿論、議論の余地があるものであれば、きちんと指摘した方が読んで頂いている方には分かり易いのかもしれません。しかし私はあの様な言葉は議論の余地は無く、本来はすべきでないものと思っています。

そして、それが何を指しているのかは皆さんにも分かって頂けると思っています。ただ、その様な言葉を不適切であるかどうか。また、不適切であっても事情によっては。そして、引用だったら構わないのではないか。など色々なご意見はあるかと思います。

その様な色々な意見の一つとして、私はあの様な言葉は不適切であり、引用すら憚るべきものだと考えているのです。

(もし、私が何を指して不適切と言っているのか、お分かり頂けない方がいるのであれば、TwitterのDMなど個人的なやり取りで問い合わせして頂ければ対応は致したいと思っています)

何故!?不適切なのか。

一言で言ってしまえば、社会に広まってしまうから。

そして広まってしまう事で、子供達が安易にその様な不適切な言葉を使う様になる。更に、現実にそれら心無い言葉によって多くの子供達が傷付いてもいるのです。中には、その結果として自らの命を絶ってしまう子供も決して少なくはありません。

こんな事を言うと大袈裟に思われる方もおられるのかもしれません。しかし、これは決して大袈裟な事ではないのです。これくらいならいいか。その様な小さな綻びが、イジメという問題をどんどん深刻なものにしていくのです。

だから私は引用ですら憚るべきだと考えるのです。

子供達にとってはどの様な使われ方をしたのかは関係が無い様に思う。ただ、目にする機会が増えれば増える程、使用する際のハードルを下げてしまうのではないでしょうか。

確かに引用すら否定してしまったら、きちんとした議論は出来ないのかもしれません。しかし私はあの様な言葉には議論の余地は無いと思うので、引用ですら憚るべきだと申させて頂きます。

果たして、これは私の個人的な感覚として済ます事が出来る事なのでしょうか。済ます事が好ましい事なのでしょうか。

よく考えてみて下さい。

恐らく、私の意見を否定的に受け取られる方は、子供達が不適切な言葉で誰かを傷付ける事があったとしても、それはその不適切な言葉を使った子供の責任だとお考えなのかもしれません。

確かに何が悪くて何が良いのか、はっきりさせる為にも個人に責任を負わせる必要もあるでしょう。ただ、子供はあくまでも子供にしか過ぎません。

大人達が安易に不適切な言葉を使っていたら、それを子供達が真似するのは当然でしょうし、その責任は大人達にもある様に私は思います。

社会の中で不適切な言葉が氾濫する事により、子供達がイジメや、時には犯罪の加害者となり、その加害者が被害者を生み出しもするのです。

確かに、現状において、行政や社会の中に様々な不備があって、十分な保育を受けられずに苦しんでいる方が大勢おられるのでしょう。

しかし、よく考えてみて下さい。

「保育園落ちた」の様な不適切な言葉に依る主張をし、もし、その主張が通ったとして、自分の子供が保育を受けられたとしても、その子供の将来は明るいものになるのでしょうか。

せっかく保育園に入園が出来たとしても、その先、小学校や中学校、そして高校で自分の子供がイジメの加害者や被害者になってしまう可能性を高めてしまう事になるのではないでしょうか。自分の子供が、誰かにあの様な言葉を言ったり、誰かから言われたりするのかもしれませんよ。

「保育園落ちた」の記事を支持している方は、自分の子供はイジメの加害者にも被害者にもなる訳はないとお考えなのでしょうか。

それはちょっと甘い考えの様に私は思います。

周囲に流されない。

確かに現状においてネットではあの様な言葉と同様、或いは同等の言葉が溢れています。だからついついあの程度の事と考えてしまうのかもしれません。そして、大人達がそうであれば、子供達は尚更でしょう。

また、現状においては例え不適切な言葉を用いた表現であっても、個人の表現まで制限は出来ないし、すべきでもない様には思います。自制が出来ない方にとってはガス抜きとして大きい様にも思うからです。

此処までネットが荒れる前に対処が出来ていれば、それが良かったのかもしれませんが、それはもう今更なのです。とりあえず、自制が出来ない方には言わせておくしかないでしょう。

そして、だからこそ自制が出来る方が自制が出来ない方に釣られて、不適切な言葉を使う様な事は減らしていかなければならない様に思いますし、何より不適切な言葉を評価する事はすべきでない様に私は思うのです。

「みんながやってるから、自分もやっていいや」ではなく、

「みんながやっていても、自分はやらない」

その様な心構えが必要なのかもしれません。

そして出来る方から、先ずはやっていく。

小さな事の積み重ねが大切。

「保育園落ちた」の記事を支持している方は、よく毒のある言葉だったから社会に広まったという様な事を言っているのを見掛けます。確かに一つの側面としてその様な事がある事は否定しません。しかし、それでも不適切な言葉を正当化する事には疑問を感じざるを得ません。

毒のある言葉だったから社会に広まったのではなく、何故、その前に真っ当な言葉に依る真っ当な主張をきちんと評価しなかったのか。その様な見方をすべきなのではないでしょうか。

そして、それが正に現代社会の病巣であるのかもしれません。

どの様な理由であれ、不適切な言葉を正当化するのは言い訳にしか過ぎないでしょう。これまでちゃんと評価をしてこなかった事が問題だと私は思うのです。

だから今からでも遅くはないと私は思う。真っ当な言葉に依る、真っ当な主張をちゃんと評価していく。その様な事の積み重ねが物事を前進させるのではないでしょうか。

本当に小さな事なのかもしれませんが、出来る方が不適切な言葉を使わない様にする。そして不適切な言葉をやたらに評価せずに真っ当な言葉を評価する。その様な事の積み重ねが大切だと思うのです。

本気で世の中を改善していこうとするのであれば、近道はすべきでないでしょう。

急がば回れ。

これは決して保育の問題に限った事ではありませんが、結果や成果を求める余りに過程や手段を疎かにしてしまっては、しっぺ返しを喰らう事になる様に思うのです。あくまでも過程や手段を大切にした上で、最大限の成果を求めるべきなのではないでしょうか。

今回の保育の問題で言えば、「保育園落ちた」の記事は評価せずに別のルートでアプローチすべきものと考えます。例えどの様な事情があろうともあの様な言葉は正当化すべきでないと私は思うからです。

例え保育の問題を改善出来たとしも、あの様な言葉を正当化してしまう事による弊害の方が大きい様に私は思います。

また、手段を選ばずに成果を求めようとする事は、ある意味、テロリストがテロをする事と同様なのではないでしょうか。

だから遠回りになってしまうのかもしれませんが、本当に子供達の事を考えるのであれば、もう一度、最初から真っ当な主張をし直すべきものと思います。

決して間違った過程や手段を評価すべきではないでしょう。

NPO法人フローレンス代表理事、駒崎氏の功罪。

私は余り個人に対して言及する事は殆ど無いのですが、彼については一言、申さずにはいられないのです。

彼のやっている事業の方向性は決して間違いではないでしょう。しかし、その手段に大きな疑問を私は以前から感じていました。そして、その事をブログで記事にもしました。

私はこの時に言いたい事を言って、後は様子見する事にしました。しかし先日「保育園落ちた」の件で駒崎氏のツイートを拝見し、黙っていられなくなってリツイートをして、更にこの記事を書くに至りました。

「ひとり親を救え!プロジェクト」の時には意見の相違として様子見をする事も出来ましたが、今度の「保育園落ちた」の件でまで様子見を決め込む事は出来ませんでした。

此処まで述べてきた様にこの事は子供達の命にまで関わる事の様に思うからです。

それでも彼が大した影響力も無く、現在の様な弱者支援事業以外の事業をしているのであれば、私の方から特別に言及する事は無かったでしょう。

しかし彼は現実に弱者支援事業を主導し、それなりの影響力を持っているのです。それにも拘わらずに「保育園落ちた」の記事を、また、それに書かれたあの様な言葉も正当化する様な言動を続けているのです。

あくまでも私の個人的評価にしか過ぎないのかもしれませんが、彼はこの様な弱者支援事業は適していない様に思います。以前、誰かがTwitterで他の事業をした方がいいのではないかとのツイートを目にした事があるのですが、私も全く同感です。

他の事業で成果を挙げて、それで稼いだ金をど~んと投資する様な形で携わった方がよりスムーズに事を運び、尚且つ効果的な支援も出来るのではないかと考える。

とは言え彼には彼の意思もある訳だから、それを無理強いする訳にはいかないが、ただ、少なくとも現状の様な手段を選ばずに成果を挙げようとする姿勢では、弱者を支援しながらも、一方では弱者を切り捨てる事にもなるでしょう。

それで本当にいいのか、私は甚だ疑問に思うのです。

最後に。

とにかく私が思うのは、例えどの様な事情があろうとも過程や手段を疎かにしてはならないという事。どんなに手間がかかろうとも時間がかかろうともコツコツと小さな努力を積み重ねていく。

近道をしても、その先に決して明るい未来は無い様に思う。

此処まで悪い事が社会の中に広まってきてしまった。今度は良い事を少しずつでも広めていく事で、それが世の中を改善する事に繋がる様に思う。

少しでも苦しんでいる方々の苦しみが軽減される方向へ向かう事を祈りつつ、この記事を終えたいと思います。

長々とお付き合い頂き、本当にありがとうございました。

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菊千代 このユーザーの他の記事を見る

菊千代(きくちよ)と申します。
例え意見が違えども、皆、何かを良くしたいという思いは同じだと思うのです。
そういう意味で、意見や立場が反対であったとしても、
それは敵ではなく、むしろ同志であると私は考えます。
そのような想いを込めて、何かを発信する事が出来るのであれば、と。
そんな風に思っております。

To My Furthest Neighbors In The World...

尚、個人的に力不足を感じた為、
こちらでは今後の更新は停止します。
(ブログ等、個人での発信を続けます)
これまでに書いたものはそのまま残しておくので、
恥を晒す事になるのかもしれませんが、
宜しかったら、ご覧になってみて下さい。

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