快楽

「ああん、やばい。あん、マジできもちいい…」

快楽に悶えるその喘ぎ声に思わず私はゴクリと唾を飲み込んでしまいます。其処は大型家電量販店のマッサージチェアコーナーでした。とても手が出ない高価なマシンを無料体験出来るとあって、私は週一でマッサージする為だけに通う、店側からしたらかなり傍迷惑な客なのです。電動の震えが生み出す至福の揉み心地に身を任せ、背もたれの向う側、横並びで仲良くマッサージに興じる若いカップルの女性が漏らす声を聴きながら、私は秘かに邪な感情を抱いていたのです。

すると、私は視界にまた別のカップル、いやカップルと呼ぶのは些か抵抗がある、年齢差がかなり開いた雰囲気の男女が、そのマッサージチェアコーナーに侵入してくるのを捉えます。中年男性は上下とも地味な土色の作業服にメーカー不明な運動靴、比してまだかなり若い女性はひらひらした白く短いスカートから生白い太腿を露わにして、目元を強調したどぎついメイクをしています。水商売の女の子と客だ、同伴ですな、私はマッサージチェアに小刻みに揺られながら推理します。

「わたすぃー、これえ、欲しい!」

女の子の完全に作為を感じる甘ったるい声に、作業服は直ぐに店員を呼び寄せます。店員も、えっ、コレ買うんすか、まじっすか、と滅多に売れないであろう高額商品購入の申し出に目を丸くして当惑しているようでした。店員が差し出した伝票を、作業服は指でぺしっと弾き、買う、と少し面倒臭そうに言い放ちました。クールでした。

嗚呼、男と女のラブゲーム。果たしてあの子は本当にマッサージチェアが欲しいのだろうか、大事に使うのだろうか、余計な心配をしながら、そういや以前、自分も飲み屋の姉ちゃん、所謂キャバ嬢と…、そう感傷に耽っておったのです。限界までリクライニングしながら。

依頼

職場の先輩というのか、上司というのか、日頃から私の事を気にかけてくれる親子ほど歳の離れた、その人が私を誘いました。

「彼女、おらんとやろ?行きつけの飲み屋で働きよる姉ちゃんとね、今度外で飲みに行く約束したけん、来んね。飲み屋ばってん、その子は保育士目指して学校行きよる、えらい真面目か子たい。いま彼氏おらんらしかばい」

断る理由がある筈もなく、即座に私は首を縦に振りました。

その日。待ち合わせ場所にタクシーが停まり後部ドアが開くと、小柄で尻の割れ目が見えそうな、というより屈んだら確実に見えてしまう程、股上が浅いタータンチェックのパンツを履いた化粧が濃い女子が下りてきました。若いな、飲み屋にいそうだな、私の印象は朧げでぼんやりしていて今では良く覚えていません。目が合うと、なにか不思議そうな表情を浮かべているようでした。待ち合わせ場所は、その子が住んでるらしいアパートからたった数百メートルの距離でしたが、わざわざタクシー使うのか、と普段は金をケチってバスすらも乗らず徒歩で済ます私とは、金銭感覚が大分異なっているみたいです。

それから居酒屋、大先輩の行きつけのスナックとハシゴしました。女子はガンガンに焼酎を呷り、カラオケを歌って、かなり上機嫌でした。

「もっとおじさんが来ると思ってた。若い人やけん、びっくりした」

女子は私の事を気に入ったようで、今日はビジネスじゃないけん、プライベートやけん、等と言い、酔った勢いで私の手を握ってくるのでした。私が住むアパートとすぐ近くに住んでいることも分かり、なら今度米ちょうだい、いま無くなった、部屋番号は…と冗談を言ったりしました。ただ途中で、このスナックなかなかやるやん、繁盛する店の様子を窺う鋭い目つきに、その女子のシビアさ、野心のようなものの一端を垣間見たような気もしたのです。

その子が豹変したのは帰り道でした。

アパートは繁華街から信号二つ分ほどの距離しかなく、歩いて数分だったのですが、泥酔した女子は、タクシーに乗りたい、ストーカーがいるから歩いたら危ないと呂律のまわらない口調で良くわからないことを言って、駄々をこねます。挙句、通りすがりの他人に「ああ?」なぞ因縁をつける始末です。大先輩と二人で介抱しつつ何とか宥めます。そして唐突に大声で絶叫したんです。

「わたしの親、犯罪者なんですよおーっ!バレたらぜったい結婚できないんですよおーっ!」

大先輩が「あんた、いい加減にせないかんばい。酔い過ぎたい」と叱責します。私は女子を支えながら、チッ、めんどくせー、舌打ちして小声で漏らします。酔っ払ってるし絶対聴こえてないと踏んだのですが、それはハッキリ耳に届いてしまったようなのです。

「ああん?おまえ、いま、なんつった。もっぺん言ってみろ、こら。めんどくせー?めんどくせー、ちや?くそが。てめえ、いますぐ消えろ、キエローッ!」

細い眉がハの字になった物凄い形相で下から睨みつけられ、胸ぐらを掴まれ、半狂乱での怒号が轟きました。大人になってから久々に味わう恐怖で足が竦みました。なんとか女子のアパートまで強制送還を果たしたものの、とんでもない疲労感が残りました。

煙草の吸殻で山盛りになった灰皿、フローリングに散らばった女性ファッション誌、汚れがこびり付いたいつかの鍋が置き去りにされた銀色の流し台、斃れる様にベッドにうつ伏せに寝た女子のタータンチェックのパンツからケツの割れ目が覗いているのを眺めても、その時私には哀しみが混じった冷たい気持ちしか抱けなかったのです。

翌日でした。サッカー日本代表戦をテレビ観戦していると、宅配以外は鳴らない、自室のドアチャイムの音がけたたましく狭い部屋に響き渡ります。覗き穴から確認すると、赤いワンピースを着た小柄な女子が白いビニール袋を片手に所在無さ気に佇んでいます。

あの女子でした。

携帯番号は交換してなかったものの、アパート名と部屋番号は詳しく教えていたのを思い出します。ど、どうぞ、と震える声で招き入れます。昨晩の恐怖が未だ残存していたのです。

「これ、おこめ」

コンビニ名がプリントされた袋を手渡されました。二重にされたビニール袋に白米が詰められていました。冗談で言った積りの言葉を覚えていたようです。取り敢えず、礼を言い、昨晩の事をどれくらい記憶しているか尋ねます。帰りの事は全く覚えていないそうでした。適当に座るよう促し、サッカーに夢中な振りでテレビに視線を据えたまま、何を話していいかわからずじっと黙ってしまいます。

「たばこ」

灰皿を差し出し、ベランダで吸うようお願いします。ふーっと灰色の煙を吐き出し、細い煙草を一本吸い終えた女子は、私の方を振り向きぽつりと言いました。

「もっと、チャラい人って思った」

気まずいまま、じゃあ、米ありがとう、と見送ります。心臓がばくばく波打っていました。それから女子が部屋を訪ねてくることは二度とありませんでした。

暫くして、アパートの裏手をぶらぶら歩いていると「こまかいおかねはトイチで借りて…」なぞ話す二人組の女子とすれ違い、その片方があのキャバ嬢だったような気がしたのですが、単なる見間違いか定かでは無いのです。

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男は久留米という砂漠の中の一粒の砂であり、クルマ、金、女に縁がないライター志望の孤独で吝嗇な三十路だった…http://ameblo.jp/kt660cc http://tabelog.com/rvwr/002224433/

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