昔、あるところに少年がいた。
黒い目のきらきらとした、心の気高い、敏捷でしなやかな身体
を持つ少年であった。少年の一族は狩りを業とした。
少年の祖父も父も伯父も叔父も、その同輩たちもみな熊を狩って
暮らしていた。
男が獲った熊を持ちかえると、女どもは熊の皮をなめし、肉を干し、
熊の胆を作った。その合間には山に行って木の実や草の根を採った。


だが、彼らは心正しいアイヌではなく、ねじくれたトゥムンチの族
であった。
彼らは熊を獲って、熊の魂を送らなかった。
本来ならば狩りをする者は獲物の魂を手厚く神の国に送る。
獲物に向かって、自分たちの者の手にかかってくれてありがとうと
礼を述べ、自分たちの一族の腹を満たしてくれてありがとうと述べ、
その魂が無事に神の国に還って、またいつか多くの肉をまとって
やってきてくれるよう心をこめて祈る。それがアイヌのやりかただ。


だが少年の一族はアイヌではなくトゥムンチだったから、そういう
ことを一切しなかった。
彼らは、熊の方が自分たちの方に来てくれるのだとは考えなかった。
彼らは自分たちが強いから、だから熊が獲れるのだと信じていた。
熊を獲ったあとでは送りの儀式などはせず、負けた熊を蔑み、勝ち
誇って家に帰った。



「静かな大地」池澤夏樹著より引用

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