明治維新以来の、日本の大転換点といえば先の大戦を置いてありません。その戦後の転換点に主役となった吉田茂(元首相)の、感慨と本音を,日米の緊迫した開戦前まで外務省の同僚だった来栖三郎に書き送った生々しい手紙です。日付けは昭和20年8月27日となっています。以下にその一部を紹介します。

敬覆、遂に来るものが来候、If the Devil has a son, surely he is Tojo,(悪魔に息子がいるなら、それはまさしく東条だ) 今までのところ我負け振りも古今東西未曾有の出来栄えと可申、皇国再建の気運も自らここに可蔵、軍なる政治の癌切開除去、政界明朗国民道義昂揚、外交自ら一新可致、これに加え科学振興、米資招致により而も財界立ち直り、遂に帝国の真髄一段と発揮するに至らば、この敗戦必ずしも悪からず、雨後天地又更佳、とにかく事態存外順調、ここに至れるは一に聖断による戦局終結・・(中略)かって小生共を苦しめたケンペイ君、ポツダム宣言に所謂戦争責任の糾弾に恐れを為し、米俘虜虐待の脛傷連、昨今脱営逃避の陋態(ろうたい)、その頭目東条英機は青梅の古寺に潜伏中のよし、(私が)釈放せられし当時、実は今に見ろと小生も内々含むところなきに非りしも、今はザマを見ろと些か溜飲を下げ居候、この間の味は老兄の如き娑婆にて楽をせし人にはわからず、是非一度経験をお勧め申度・・・以下省略。

日本の敗戦は世界史にも類をみない負けっぷりだったが、政治の癌、軍部の除去により国民の道義も回復し、敗戦も悪いことばかりではない、またよし。これからはアメリカ資本の助けで経済も工業も必ず復興する・・・と吉田茂は述べているのですが、これは驚くほどの慧眼です、終戦,からわずか十二日目、東京は一面の焼け野原、人々は打ちひしがれて自決するものも少なからず、といった状況下にこのように日本の未来を展望して明言できるとは、アメリカをよく知り日本人の底力をよく知っていた、一外交官を越えた、政治家としての有能非凡を示したものだったようです。

三月の東京空襲や八月に入ってからの広島長崎への原水爆による惨状をしり、その他の多くの都市も空襲で壊滅的被害にあっていましたが、それでも日本も日本人もめげることなく必ず復興再建して繁栄に向かうだろうと、この時期によく見通していたのです。

その同じ冷徹な目でこのたびの敗戦を、日本を破滅に導いた原因は愚かな頭目、東条英機にありと明確に述べています。今になって東条にあの戦争の終結を誤った諸々の責任を負わせる具体的な方法などありませんが、せめて靖国問題は再考すべきかもしれません。

無意味に死地にやられた特攻隊の若者達、太平洋の島々に散った数十万の兵士、戦艦大和の艦長だった伊藤整一ほか無為に散っていった陸海空の多くの将兵たちと、戦争の責任者の東条が同列に合祀されるのは中韓ならずとも、反発を覚えるものは決して少なくはないはずです。

靖国に祭られた一般将兵の御霊と共に、戦争のリーダー達が祭られる矛盾を吉田茂も決して容認するはずはないのです。苦々しい思いをしているに相違ないのです。

しかし、東条英機元戦時裁判被告を誹ることを、ここでは主意とするものではありません。当時の何が真実で何がそうではない、と本当のところは判らないからです。しかし、先般来日されたドイツのメルケル首相も指摘するとおり、戦後処理を終結させるためには戦争責任者を日本政府としても明確にする必要はありそうです。

ドイツがヒトラーを戦争の責任者として明確に指弾して、その政権に係わったもの全員を戦争犯罪者として罰したので戦後処理は終結しているのです。日本にいま出来ることは東条英機とその同類を永久戦犯として靖国神社からは分祀するか、神社側の遺族会の意向でそれが出来ないなら、小泉元首相が一度計画したように新しく一般将兵の御霊を祭る慰霊碑を別途建立するか、いずれかでしょう。

国の代表の総理は個人的な思いがあるにしても周辺諸国の意向にむやみに反発するより、相手の意向にも配慮して、すみやかに残余の(非物質的)戦後処理を行い、不毛な議論も堂々巡りも終結して欲しいものです。

吉田茂(元首相)の手紙、(敗戦の日、何を思ったか)

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まじ 東風 このユーザーの他の記事を見る

八ヶ岳南麓に隠棲。世事にまだ興味深々。

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