その数値があってるかはわかりませんし、ある程度のニュアンス的意味ではありますが、その創造と加工のそれぞれ、何かをやっているとそう判断できることがあります。




音楽も、はっきり言えば、コピー 加工的素養のある人と

これは新しいとそういう剛速球を投げれる人もいます。



何の世界でもそうですが、両方とも難しい中で



日本人というのは、本来この文化を見ると、加工と創造

均等に伸ばしてきたのかな?と思っています。



しかし、最近の流れを見ると、その創造の対価を、簡単に手に入れて、その加工をして、自分のものにするという流れが、大きいようにも思います。


そういう社会ですよね。



創造が、低く見積もられています。

その在り方を、ある程度変えないと、結局、ヘッジをかけて、儲けているような、ああいうお金の取り方を不公平に思います。


100円のお菓子を作り上げる労力と、金融機関が儲けるその安易さの違いはやはり大きいです。



どこに、価値があるべきか?


そういうものが、きちんと、判断される社会であれと思います。

もちろん、単純作業、低賃金の業種も能力がなくても務まり、そのマイナスもありますが、そういう面も含めても、どこに価値があって、どこにないのか?



そういうことを、もう少し、広く見れるといい社会になるとも思います。



今の時代は、加工に、力を入れすぎて、意味が持たないそういう感性もよく見えますし

逆に、どう創造ある議論を繰り広げて

その、無償である創造に、価値を返すか?

そういう時代の流れではあると思います。



結局、社会が加工に重きを置きすぎて、社会が、感性がチープになっていて、その社会の中で、その創造を無料でぶちまけるしか、進展はないものです。




その意味と、意義と

その中で、どこに健全さがあるか?

と問うて、振り返る必要もあると思います。







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