テレビを見ていますと、それぞれ識者が全うであるかのように述べています。

肩書もあるし、社会的分別のできる人が多いとも思っています。

しかし、日本社会の問題

縦割り行政的な、自分の専門分野のみ、きわめて

総合的にどうであるか?という構造的な、思考が欠けているため



その問題の本質で議論しないで、その構造からずれている問いに対して処置し、結局ひん曲がった中で、議論が出され、結論が出されます。

その上、「言い訳をするな!」と言われ、その根本の原因を無視されて、違うところに対してその指示が飛ぶので、結局ひん曲がった中で、そのベクトルを進めざるを得ないので、それは中途半端な在り方に、矛盾ができ、縦割り的な形が広がっていきます。



「それが現場である」と言えばそうですが、結局、そういう中でしか生きれない人はそこに生きるべきだとも思いますが、巨視観のある自身としては、そこに生きていても、もっと生きるポジションがあるだろうとこうは書いていますが・・・・・・


そういうところだと思うのですよね。

その大きな器を、どの状況で、どの機関がその大きさをどのくらいにおいて、位置づけるか?



その問いが、社会のスケールと、どこまで長く続くか?その健全さを決めるのだと思います。

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