今まで自身、大局観における論点のズレを多く述べてきましたが、その前提における問題とは、「感性のズレ」におけるところが、根本であって、社会の多くの問題は、感性のズレが根本だと思っています。





例えば、クラスで、手をよく挙げる生徒は、積極的でいいはずです。

しかし、彼の論点から始まった話は、そのテーマに焦点が集まり、本当に話し合う論点からはずれていってしまいます。



それが小学生、中学生なら、それは積極的であって、すべて悪いものではないですが、大人社会の中で、それが横行していたら、道が曲がっていきます。



テレビの政治番組等、自身が見なければ!と思って、画面に焦点を置いても、聞かないのは焦点がずれている問いに対して、その感性が吸い付かないのです。

そういういい方は一つに失礼なところもありますが、多く議論すればいいというのではなくて、ワンワードで片付けてみるところのほうが、実は多くを語っていることも多いはずです。





そういう風に、社会全体で、進めていかないと、結局文字数、言論は多くても、進んではいない!ということになりますし

その論点の本質はどこにあり、どう焦点を当てるべきか?



その感性が、維持向上されなければ、まったくベクトルが変わってしまいます。



最近の若者の、言葉、言動に興味がわかないという自身の想いの中では、本物的なものに対して、免疫がなくて、表層ばかりを追っているそういう状況ゆえに、起きてる問題も少なくないとも思っています。





バブルの時代は、自律こそできませんでしたが、感性は今よりずっと高いはずです。

そういう時代感がありました。

今の時代は、感性は多く消えています。



その中で、どう感性を取り戻すか?

それが今の時代の中で、自律を忘れないように、得ることが今の時代の大きなテーマだと思います。

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