この過去の記事含めて、個人主義と、集団主義について述べていますが

結局、それをすべて一つで統一しようとするから、問題が生じるのであって

それをここのケースはこういう割合かな?あのケースはこっちの比率が大きいと



そういう風に、分けて考えれば、その管理者の割合のさじ加減によって、より直接的なバランスをもって、その反動を抑えられると思います。





結局、今までの日本の社会というのは、集団主義がすべてであるという考えであって

すべて、がんじがらめに、拘束すればよいと!

そういう社会で、画一的、終身雇用的、制度が成り立ちました。

しかし、今の社会は、どこに強みがあり、どうその制度疲労した中で、新しいものは健全に構築できるか?という問いを求められています。

要するに、その管理の在り方が、昔一本の在り方では成り立たないし

ただ、その昔的在り方でなきゃ、成り立たないそういう組織ももちろんあるでしょうが・・・・



話しを戻して、その変化の中、管理者がその考えを移していく、もしくは既存タイプの管理者はもう使えないのか?

そういう問いもあるべきですよね。


その集団主義的在り方と、個人主義を取り入れるべきものの中で

その比率をどう組織組織において、比率を保つか?

そういう問いが、根本的なところでは、保育所に入れない!

などということも、変えることだと思っています。

結局、そういうところで、一律にやっているせいかはわかりませんが、そういう状況も少なくはないでしょう

その中で、個人の押し切りは、どの人にあり得て、どの人にあり得ないなどと

その選別は、多くに難しい問題ですし、そのケースはレアなものでしょうが、そういう問いもあるべきです。



そのように、集団主義が流れている社会の中で、その洗脳が解けないでいる社会の中で、一気に個人主義だ!という勢いというよりは、どうバランスよく、個人主義をどう定着させていくか?

そういう時代の流れだとも思っています。


その中での、責任問題



事情があって、働けない人には、生活保護という問いがあるでしょう。

しかし、そういう状況で社会が、すべての人を助けようとすると、国の財政が破たんします。

同時に、人間のこと、すべては完全に行かない中で、そういう状況もあり得る。

その中で、同じように、集団主義としての保証を考えられる部分と、そうでない部分

その線を、きっちり図れるような社会が必要だと思います。



そのボーダーをどうあるべきか?


そういうことを、企業なり、国なり

その在り方が連鎖的に一致しなければ、その確かな在り方がつかめません。



ここが一番重要な点だと思っています。

次の仕事が、再スタートになりえる社会であれば、リストラも簡単になりえますし

次の仕事が全く見えないのであれば、動きようもありません。

そして、金銭的に、保証されれば、次のために、準備を進めることもできます。

そういう中で、体系的に、進めていくことが、社会の間接締めから大きく羽ばたける社会となりえるのだと思います。


逆に言えば、そういう一律的な集団主義の中から、個人の自由を得る社会の中で、あくどいことは、厳密に裁かなければなりません。





そういう社会が、集団主義、個人主義の中で、そのさじ加減

そして、体系的に連鎖して、矛盾のなさを作ることが大事だと思います。





















この記事を書いたユーザー

SATOSHI このユーザーの他の記事を見る

紆余曲折の人生 多様性のあり方 バランス力 


法政大学卒 大手一部企業 音楽活動  長期入院 ボイストレーニング

得意ジャンル
  • 音楽
  • 社会問題
  • スポーツ
  • テレビ
  • カルチャー
  • コラム
  • ニュース

権利侵害申告はこちら