日本人は、繊細で、細やかで、丁寧で

そんなイメージがあります。



その完璧性が、国力の中で大きなウエイトを占めているとも思います。

しかし、今の現状を維持し続けても、その変化についていけません。

終身雇用、画一的人材を作り続けようとしてきた中での制度と

大きく、意識を変化して、新しいものを生み出そうという時代の風土の中で

それに足を引っ張ることは、ひとつに正しいところもありますが

足を引っ張る必要もなく、そのまま進ませるその意志も必要なものです。

その見極めは難しいですし、本来ある日本の緻密性、完璧さが消えていくのも問題です。



つまり、意識を完璧性に置いといて、その大局観はどこにあると?

大局観と、その現場での在り方を両方見て

どう統合性が図れるべきか?

もしくは、その事象は、「別問題」であるか?



そのように、分けて論理的に考えられることが、一番今社会で求められていることです。
安易に足を引っ張るその手癖が、社会を収縮させていたりもします。
同時に、バランスの欠けた人から、守ってはいますが・・・・


その中で、責任とは、誰がとるべきか?

その難しさが、現在の社会の大きな問いでしょう



自身は、その問題にどう対峙し、どう考え、どうあるべきか?
多角的に問うてみて、その論理性が、固まっている中で、そして人間としてどうありえてるのか?

そこが問えれば、基本責はないと考えています



逆に、論理の飛躍、矛盾の連鎖、短絡性、そしてその人間性の悪さ等

そこにしか責は問えないとも思います



結局、責任を取るということが、個人主義の中で、自己責任とよく問われますが

そこの自己責任においての、集団主義の中での、保証

それもあるべきだという考えですが、安易に逃げに利用されるのは全く本意とは違いますし、そういう状況でその在り方を利用するそういう社会には厳しい罰が与えられるべき!

と考えています。



何もかくにも、罪を逃れるためだけに、論理性を繕うなどと、そういうクオリオティーは求められないという考えです。













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