最近よく目にする、メディアの叩き



ベッキー問題から、清原元選手から、野々村元議員まで



もちろん、本人が、世の中のルールからはみ出したことをしたから、問題はあるといえよう

しかし、我々の社会、日本とは集団主義の中で、個人思想を崇めようというその矛盾するような状況が続いていて

その矛盾が、昔よりも、ぎすぎすしたような傾向を感じる



ネット社会、情報化社会の中での、攻防戦

そして村社会

個人の力が、それがひとつに様々に広がり

それが集団的威力を持ち

逆に、受け身の側は、この社会の中で自己責任を問われる中で、どこにも逃げ場所が普通の人はない

個人主義と言われる、企業の切り詰め、自立を促したうえで

さらに、集団主義の、人が弱っているときに助けるそういうセーフティーネットは消え

一回、道をはみ出したら、復帰はできないとそういう無言の大きな圧力がある社会だ


その中で、何を考えようか?という問いがなくて、そのミスをそこまで悪意のない罪が、咎められ続ける

いわゆるセカンドレイプという状況が、二重、三重で問われ続ける


そういう大局観のない社会の中で、その真ん中の視点を、どう持っていくべきか?

という視点がなければ、社会が良くなるわけがない


人々は、想像力を失い、短絡的な論理で、自分の手癖を繰り返し

誤解の勘違いを自分の行動として、その中で、判断をして、権力をかざす



非常に、村社会という集団的社会の中で、その取り入れた個人主義で、答えを出す


落ちたら、這いあがれない

その社会の中で、人心の声が乱れている中で

確かな声が認められるようにしていくしか答えはないと思います













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