何故肉親間で殺人事件が多発するのか

  最近見出しに書いた事件が毎日のようにニュースで流れておりますが、日本はいったいどうしたのでしょうか。

 戦前は肉親の間における殺人事件は、尊属殺人として罪一等重くなっておりました。私はここに案外原因が隠されているのではないかと思うのです。

 まず、伝統的な日本の家族社会は、大家族主義というのでしょうか,分家をしない限り何世代にもわたって同居が常識でした。当主は家長として、家族に対してもまた対外的にも大きな責任を持たされておりました。そこで一番大きい役割は子供の教育であり社会人としての社会的責任を果たすことだったと思います。

 ここで注意しておかなくてはならないのは、家庭がいわば社会の最小単位に当たるもので、子供はここで社会人としての基礎教育や訓練を行っていたことです。
 しかし何処の家庭でもそうであるように、家庭内では家族間に大きく甘えの心理が働きます。このことについては後で詳しくするとして、家族は小さいながらとても重要な役割を果たす小さな社会であることをよくわきまえていたのではないかと思います。

 そこをしっかり認識することで家族単位のあり方を重要視したのが、尊属殺人という罪一等重い処罰として明確化していたのではないでしょうか。そうしてみると昔も結構事件は起こっていたのではないかと思われます。角度を変えてみると子供が多すぎるため「間引き」とか言って子供を闇から闇に葬ると言うことも暗に聞きます。仮に親子で意見の相違が膨張したときなど、爆発的エネルギーは若者の方にあります。危険の内在とみることも出来ます。

 そうしてみれば肉親間における殺人事件が戦後になって新しく多発し始めた事件とばかりも言えないと思うのですが、現状加速的に多発するように思えることについては、別に原因も考えなければいけないし、防ぐ手段も講じなければならないと思うのです。

 まず多発する原因ですが、始めに書きました日本的大家族主義が崩壊し、核家族化していったことに注目しなければなりません。現代人は社会人としてのふれあいが不得手な方向に向かっているように感じられます。大家族の中でしっかり訓練されることなく、学校から一般社会に出ても、個人が持ち合わせる通信機器は若者を孤立の方向に向かわせるようです。社会人として未熟で、多くの人たちとコミュニケーションを取ることも不得手で、無条件お金は欲しい、それでいて生きることに自信は持ち合わせる、何ともアンバランスな人間は多くなってきているようです。

 そして先ほど触れた、何事にも我慢の出来ない子供が大きくなり、自由の名の下に我が儘の限界なども判断できない人間になってしまうようです。
 ここで一番の問題は、世間はそんな我が儘をすんなり見過ごすほど甘いものではありません。短絡的ですが、一番身近で自分よりも弱者が存在する家庭家族に目がいき、限度の抑制のきかない暴力事件に発展するのが、一般的構図になってきているのではないでしょうか。

 後を絶たない家族間凶悪事件を、少しでも少なくするために、社会人としての教育を推し進める必要を強く感じます。
 そのためにはどうすれば良いのか、どこから手をつけていけば良いのか、今後ますます人間の精神的孤立化が進むと思われるこんにち、待ったなしではないでしょうか。

 一昨日ですか、高校生男女が自分たちの間に生まれた子供を殺してしまったような記事がありました。本当に哀しいことです。善悪で持ってみることも出来ない思いです。こんな社会になった原因の詮索も大事でしょうが、一日も早くこんな悲劇の起こらない社会を作らなければならない、それが大人をもって任ずる人たちに課せられた緊急使命ではないでしょうか。責任が親とか先生とか言ってる場合ではありません。

 

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仙暁 このユーザーの他の記事を見る

八十路を迎えた萩焼陶工です。ちょっと野次馬ですが、どうぞおつきあいください。写真は苦手で文章ばかりですが、これもまた一興とよろしくお願いいたします。

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