1997年12月20日早朝、東京麻布の伊丹プロダクションのあるマンション下の駐車スペースに伊丹十三はうつ伏せに横臥している姿で発見されています。多量のウイスキーを飲んだ形跡があり、その後屋上から投身自殺したものと麻布警察署はその日のうちに結論を出しています。ワープロで書かれた遺書らしきものが残されていたのが決め手になったようです。それには「身をもって潔白を証明します。何もなかったというのはこれ以外の方法では立証できないのです」という簡略で伊丹らしくない一文があり、それに対応するのは写真週刊誌「フラッシュ」による伊丹スキャンダル(不倫やSMクラブ通い)に対しての釈明と推測して、警察は自殺の理由としたようでした。

しかし、伊丹の友人知人の誰一人それに納得するものではなかったのです。伊丹は達筆で私信にワープロを使うことはなく、文筆家でありダンディな伊丹が人生最後の終止符の時に、あのような粗末な文章の切れ端を残すことはありえない、と誰にも思われたのです。

伊丹十三はその以前、5年6ヶ月前の1992年5月、映画「ミンボーの女」を劇場公開直後に自宅近くの路上で刃物を持った5人組に襲撃され、顔などを切られて全治3ヶ月の重傷を負わされています。

犯人は後日逮捕されていますが、暴力団後藤組の配下の男達で「ミンボウーの女」(民事介入暴力団専門の女性弁護士)が主人公となるこの映画の内容が滑稽に描かれていて、暴力団をコケにしたものと反発、映画製作者で監督の伊丹に対して暴力行為に及んだものだったのです。5人組は罪を認め裁判は即決で、それぞれ4-6年の懲役刑を言い渡されて服役していました。

伊丹の自殺を認めないのは友人知人だけではなく、週刊誌「フラッシュ」の執筆担当記者自身も自分の記事が伊丹自殺の原因とは微塵も思わず、後日伊丹の自殺動機説に対して否定的な記事を伊丹の写真付きで載せています。その中で伊丹は笑いながら「不倫?それなら女房に聞いたら、そんなのしょっちゅうだから。SMクラブ通いは本当だよ勿論」と屈託なく言っていたのです。SMクラブ通いが彼の映画のための取材目的なのは記者を含めて誰でも知っていることだったのです。自殺の理由になる要素などでは全くなかったのです。

数ヶ月後、アメリカ人で読売新聞記者という異色の人物、ジェイク・エーデルスタインという伊丹の友人のひとりが彼の自殺を聞き知って、その否定記事を英米の新聞(ワシントン・ポストなど)に公表しています。彼は読売新聞社に入社以来、なぜか日本の暴力団(Japan’s Yakuza Mafia)に魅せられて、その取材を12年間続けて英米のメディアにも紹介していた筋金入りで、英米では日本のヤクザ世界のエクスパートとして知られていたそうです。

1992年に伊丹が被害者となった刃傷事件のことも犯人が後藤組の組員で逮捕され服役し、伊丹の自殺騒動の頃すでに刑を終えて出所していることも知っていて、伊丹を死に至らしめたのは、あるいは再び彼ら5人組ではないかと疑い、彼らに直接取材を申し入れていたそうです。

ジェイク・エーデルスタインは、この事件の動機となり得るものとして、伊丹から生前に聞いていた彼の次の映画の企画が、彼らに対する挑戦と受け止められて、それを妨害するものだったかも知れないと疑ったのです。伊丹の次の企画というのは実のところ、彼らの神経を逆なでせずには済まないものだったのです。映画の題材となるのは暴力団と新興宗教で、そのものずばりだったのです。

しかも、中心テーマはかねてから親密な関係にあるとエーデルスタイン自身が伊丹に教えていた、ヤクザ・マフィアの後藤組と創価学会だったのです。伊丹が思い描いていたのがどのようなストーリーだったのか判りませんが、後藤組の組長後藤忠政には心あたりがあったのか激怒し、創価学会名誉会長の池田大作も快く思わなかったはず、と英文のワシントンポストに寄稿したリポートには書いてあるそうです。

エーデルスタインは、後藤組と創価学会の繋がりを数年前に遡り、読売新聞紙上にも書いているそうです。創価学会が冨士大石寺と分裂騒動の折後藤組を援用していたころ何度も取材していて両者の関係は熟知していたのです。 
                        (続く)

マルサの女・伊丹十三の自死

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まじ 東風 このユーザーの他の記事を見る

八ヶ岳南麓に隠棲。世事にまだ興味深々。

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