風と共に去りぬ、という物語の舞台になった、アメリカのジョージア州アトランタはコカコーラの生誕地としても知られています。時は1800年代半ばで、アメリカが南北に分かれて4年間戦ったシビルウオーの主戦場でした。奴隷解放を主張する北軍と、それは受けいれられないと分離独立宣言をした南部11州の南部連合軍との戦いで、口火を切ったのは連合軍でしたが、最後に勝利したのはリンカーン大統領の北軍でした。

コカコーラの生みの親は敗北した南軍の従軍医でペンバートンという人ですが、故郷のアトランタに帰郷して、軍隊で覚えたコカインをワインで割ってのんだ経験から微量のコカイン入りアルコール飲料を考案して販売したところ好評でよく売れたそうです。ところが1886年のアトランタでは、あたかも禁酒法が施行されアルコール飲料は販売出来なくなりました。そこでペンバートンはアルコールを抜きシロップと炭酸水を加えて、コカコーラと命名して販売したところヒット商品になり、その後、コカインも多用すると体によくないと解って、1903年以降コカインも除き、健全な飲料水として販売を伸ばして現在に至っているということです。

コカインの所持や使用がアメリカで全面的に禁止されたのは意外にも1970年になってからだそうです。現在の銃規制と同様、麻薬が人に害を及ぼすと立証された後も法的規制はなかなか課されなかったのです。アメリカの宗家ともいえるイギリスでは、1920年代まで、アヘン、ヘロイン、コカインといった麻薬が万能薬として自由に販売され乱用に近い使われ方をしていたそうです。ワインと混ぜて医者が推奨した飲料もあり、当時のビクトリア女王も愛飲していたとのことです。ローマ法王も愛用した有名なコカイン入り赤ワインもあったそうです。

19世紀から20世紀初頭までは、ヨーロッパ全土で麻薬が過剰に常用されていた時代だったのです。ビクトリア女王の政府がアフガニスタンの高地に、アヘンの原料となるケシの実を大量に栽培する大農園をつくり、過剰生産になり、余剰量を中国に購入するよう強要し、拒否されると軍隊を動かしてアヘン戦争を起こしたのは日中戦争勃発の少し前でほぼ同年代です。当時にあっても卑劣に過ぎる歴史的事実でしたが、それに対するイギリスの謝罪など勿論なかったのです。それが良かったのでしょうか、今のところ中国が過去の歴史の反省を求めることもなさそうです。イギリス人が公式になにかを反省したり謝罪することは月が西から出るほとありえない、とフランス人が言うように、それは有り得ず、どの国家にしても戦後処理終結後に、さらに過去の歴史の責任を問うて何らかの賠償を得ようとするのは理不尽なことです。戦争や紛争が歴史そのものといったアメリカやヨーロッパでは、およそ考えられないことなのです。

イギリスでようやく麻薬類が法的に規制されるようになったのは1920年代末になってからです。現在の法律では、いうまでもなく、アヘン、ヘロイン、コカインの類は、世界中殆どの国で厳しく規制されています。所持、運搬しただけで死刑を宣告される国もあります。パナマの独裁者ノリエガ将軍が、コカインをアメリカに大量輸出するシンジケートのボスだったとして、一国の(大統領)にも匹敵する立場でありながら、アメリカ軍に捕縛され実刑を科せられたのはまだ記憶に新しい出来事です。

風と共に去りぬ・・(コカーラと麻薬の歴史)

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まじ 東風 このユーザーの他の記事を見る

八ヶ岳南麓に隠棲。世事にまだ興味深々。

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