日本人は時に自国を、経済大国、技術大国、世界に冠たるもの、などと自画自賛することがありますが、中国人は自賛ではなく相手を見下すことによって自己の優位性を確認し、それを信じて疑わない国なのです。
 
中国語で日本のことを「小日本」と書くのもその一つです。さりげないものですが、日本を歴史的レングスで見下しているのです。日本は国土的に小さいから(小さい国)というのは日本的解釈で、本当は、そんな皮相なものではなく根深い蔑視によるものなのです。

欧米の一部の人たちに中国人はユダヤ人に似て選民意識が強いといわれています。選民意識とは”選ばれし者”という優越意識といってもいいでしょう。ユダヤ人は明らかに神に選ばれし人種との意識が強く、そのためしばしば他国民を怒らせることになり、かっては嫌われ人種の筆頭でした。

ユダヤ人の試練の時代、第二次大戦中、ヒットラーのドイツを命からがら脱出して隣国に逃げたユダヤ人は多く、ヨーロッパの彷徨えるユダヤ人と呼ばれていましたが、いずれの国もユダヤ人を暖かく迎えることは稀で、ドイツでのホロコーストを薄々知ってはいても、ユダヤ嫌いはヨーロッパ全土で根強かったようです。

それはともかく、中国人の選民意識の話に戻ります。 中国人の選民意識は神によるものではなさそうです。数千年遡る古代中国は、実際に文明文化が見渡す限りのどの国のどの民族よりも突出して優れていて、比べるものもなかったのです。銅器、鉄器、道具、車輪、兵器、言語、文字、礼儀作法と文化一般。周辺の石器時代人がやや進化した程度の部族集団など語るに足らず、武力をもって寄せ付けることもなく超然として国家を形成していたのです。

神を持ち出すまでもなく選民意識は周辺との比較にあったのです。その証拠に、周辺すべての他国(部族集団)に”小日本”に劣らぬ蔑称をつけていたのです。東夷(とうい)、西戎(せいじゅう)、南蛮(なんばん)、北荻(ほくてき)・・・解説するまでもなく周辺部族をその存在場所の方位で分類し卑語を付して呼称としていたのです。

ちなみに、時代を千数百年下った中国の古文書に倭国(日本)に関する最古とみなされている記述があります。そこに記されている卑弥呼(ヒミコ)という倭国の王の名前ですが、どういう訳か、日本の歴史文書には卑弥呼という呼び名がフルネームであるかのようにそのまま紹介されていて、卑弥呼の王国は島根県であったか奈良県であったか、または九州であったか、などと論争にもなっています。

卑弥呼がそのまま王名として認知されているかのようです。 しかし、卑という文字は明らかに名前の一部というより"小日本”の小にあたる形容詞と思われ、文字のなかった倭国の時代なので、おそらく口頭で倭国の王の名は、と問われたものが、ミコでございます、とでも答えたに違いありません。さようか、と頷きながらも文書にするとき漢字名に卑という冠詞を賜り、卑弥呼となったと容易に推察できるのです。

したがって、卑弥呼の呼び名はミコであり、今の漢字に当てると巫女であったかも知れません。当時は確かな名前などなく神に仕えるものと言うほどの意味だったと思われます。古代にあっては、政治を司るものは神職を兼ねていた、と想像に難くないからです。
 
古代まで引き合いにだしたのは中国人の深層にある気質のようなものが今も昔も健在で、他国蔑視の原点がそこに窺がえる様に思えるからです。そのような中国に、今の日本から(民主党の)国会議員団百人以上が北京に赴き、旧王宮の大広間に整列し、うやうやしく一人ずつ胡錦涛主席の前に出て握手を求め写真まで撮った事があり、中国人以上に日本人が仰天したものでした。

それはどう見ても、中国の古き良き王朝文化時代の、周辺属国からの朝貢の一団の姿に他ならなかったのです。中国の日本に対する高飛車外交はそこに遠因がありそうです。民主党員100数人の訪問団が古代さながらの上下関係をまざまざと甦らせたもののようでした。
 
中国は毛沢東によって共産主義国家に変身したかのように思われますが、それは表層だけで、本当はどんな変化・変身もしていないのです。鄧小平の改革開放政策以来資本主義国家になっているかにも思えますが、本来の意味での資本主義国家にはなっていません。中国の体質は以前からの中華思想のままで、中国が(世界の中心)主義に些かも変化はないからです。

中国と対等・共存の道はあっても暫定的で、平和を望むなら、尖閣など相手の望むものは譲り、国家としての上下関係を受け入れることになりそうです。上下関係こそが中華思想に不可分・不可欠なものだからです。

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まじ 東風 このユーザーの他の記事を見る

八ヶ岳南麓に隠棲。世事にまだ興味深々。

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