親の言葉の影響力は、想像以上に大きいものです。
その言葉で、子供の将来や考え方を狭めてしまわないように気をつけたいのは、叱り方、否定の仕方です。

子供が成長していくうえで、いけないことはいけない、と叱ることは必要なことです。しかし、親は子供のために叱っているつもりでも、実際は子供の人格を否定しているだけという場合も多くあります。
認識を間違えると、子供の将来に悪影響を及ぼす危険もあります。

理由をハッキリさせる

「やってはいけないことをしたとき」には、子供のしていることを否定するだけでなく、「それをするのがなぜいけないのか」をしっかり説明することが大切です。

ただ否定するだけでは、やってはいけない理由が「ママが怒るから」になってしまい、「怒られるようなことはママが見ているところでやってはいけない」「誰も見ていないところでは悪いことをしてもよい」という間違った認識になってしまう場合があります。

偏見を避ける

男の子が、ままごとセットに興味を持ったとしましょう。
「それは女の子用のおもちゃだから!」
と言ってしまうと、
「男の子は女の子用のおもちゃに触ってはいけない」
「男の子が女の子用のおもちゃを使うのはおかしいこと、恥ずかしいこと」
「料理は女のやること、男はやらないもの」
など、子供の柔軟な脳にたくさんの偏った情報がインプットされます。

大きくなるにつれ、男性の料理人が多いことを知ったとき、子供は親の発言に疑問を持ち始めるでしょう。親が子供の信用を失うことになるのです。


それだけではありません。
もしあのとき、ままごとセットを使わせてあげていたら、その子はさらに料理に興味を持ち、将来、料理人や栄養士になっていた、かもしれません。
そこまでいかないとしても、少なくとも料理をする男性の姿に疑問を持ったり、バカにしたりすることなく、ただ純粋にその腕前に感心したり感動したりすることができたでしょう。

否定された記憶は残りやすいものです。
特に、まだ知識の少ない子供の脳はなんでも飲み込みます。子供のときや若いときに覚えたことは今でも思い出せるという経験はありませんか?

知ったことを記憶に残しやすい年代の男の子が「料理は女のやることである」という情報を得た場合、無意識下にずっと残っていて、その後の生活に影響を与える恐れがあります。
いざ自分で料理をしようと思ったときに違和感を覚えたり、気恥ずかしくなったり、なぜ自分が料理をしなければならないのかという疑問や怒りがわいてきたりするのです。
本当は手先が器用で向いているのに、やれば上手にできるのに、極めればプロになれるかもしれないのに。
せっかく能力があっても、植えつけられた先入観によって、「これは自分がやるべきことではない」と無意識に自分を制御してしまうのです。

料理の話で例えましたが、否定の言葉を口にする親に育てられたら、料理ひとつでは済まないでしょう。聞かされた否定のぶんだけ、その子の「これは自分がやるべきことではない」と感じるものが増え、世界が狭められていってしまうのです。

子供の求めたこと、興味を示したことを否定するのなら、きちんとした理由も説明してあげなくてはいけません。
「女の子用だから」という説明では不足しています。

子供が興味を持ったことには、危険なことや人に迷惑をかけるようなことでない限り、できるだけ見守ってあげましょう。親の偏見を子供に押し付けてはいけません。

選択権を与える

選択肢がたくさんあるとき、すぐに選べる子もいれば、時間をかけて悩む子もいます。
また、子供が選んだものが親から見るとダサいもの、魅力のないものに感じることもあります。
「これにしなさい」と言ってしまうのは簡単です。
しかし、いつもいつもそうしていると、
「自分が選ばなくても、親が選んでくれる」
「自分はこれがいいけど、親は否定するだろうな」
「親が満足するものを選ばなければならない」
など、他力本願になったり、自我を捨ててしまったりすることに繋がります。

子供に選ばせることをしないと、子供の判断力・決断力・自我を奪うことになるのです。

子供は一人の人間であることを理解する

自分が叶えられなかった夢を子供に託す、自分の仕事を子供に継いでもらわなければならない、というご家庭もあるでしょう。
お子さんがそれを望んでいるなら、まったく問題はありません。

しかし、自分の子供を、自分の所有物とか、分身であると思ってはいけません。
子供も一人の人間であり、意志があります。ときには意見が異なってぶつかることもあるでしょう。
子供は親の思い通りに育つわけではありません。別個の人間ですから、それが当たり前なのです。
認めたくないかもしれませんが、ときには、子供の主張のほうが正しい場合もあり得ます。

自分の思い通りにならないから叱るというのは、子供のためではなく親の自己満足を追求した行為です。
親は我が子のためのつもりでしょうが、宗教や、個人の嗜好、偏見などを子供に押し付け、逆らうことを許さないのは「支配」であり、躾ではありません。
これは過干渉と呼ばれ、虐待の一種です。

愛と自己満足を混同しない

事故に遭ったら危ないからと、ずっと家のなかに閉じ込めておくことは、愛でしょうか?
美しい景色、広い世界を目にして感動する喜びを奪うことは、本当に愛でしょうか。

子供の安全や健康を願うのはわかります。
しかし、そばにいてほしい、先に死なれたら困るなどの親の気持ちを優先しすぎて、子供がやりたいことを否定し、邪魔をするのはよいことでしょうか。

たとえ外に出たせいで死期が早まったとしても、それまでに素晴らしい経験をし、心からの幸せを感じることができたのと、
一生を家の中で過ごし、心揺さぶられることもなく、素敵な出会いもなく、同じ毎日をただ繰り返し、事故にも事件にも巻き込まれずに長生きするのと、
どちらが幸せか?

もちろん、それぞれの感じ方があり、絶対にどちらかが良いと断言することはできません。
しかし、これは親が強要することではなく、本人が自ら望んで選ぶべきことです。

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固定観念を撲滅せよ。

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