毎年、学期末になると、教員がふだん以上に忙しくなるだけでない、子供(とくに小学生の高学年)もいらいらしてくる。

なぜか。教員や親や周りの大人が、気忙しくなるので、つられて子供がそうなるのだが、いちばんの理由は中学校という新しい世界が近づいてくるからだ。
私立や国立を受験する一部の子ども(近ごろは、一部ではない)をのぞくと、ほとんど地元の公立中学へ入学する。

中学の噂はあまりよくない。
生徒が反抗的だ。素直でない。学力がなかなかつかない。高校入試で苦労する。教員は教科指導よりも生活指導に追われている。悪い仲間に引きずられやすい。

ただでさえ、難しい時期なのに、親も子も不安はつのるばかりである。
私学指向の子どもも穏やかではない。まず受かるかどうかがはっきりしない。今のようにだれでもが受験するようになると、むしろ受かる方が稀である。金銭的にも体力的にも、何年間も無理を重ねてきた。塾にずいぶん投資をしたはずである。
受験料だけでも十万円近い出費である。子どものプレッシャーも並ではない。

どこか日本の教育はおかしいのではないか、と考えたくもなる。

しかし、これが普通なのではないか。
人間に、嫉妬や向上心や利己心がある。当然のことが起こっているに過ぎない。悲憤慨嘆はよすがいい。
人は現状を攻撃すると、自分はちゃっかり正義の旗を持った気になるものだ。

自分の子どもには楽をさせたい。できればいい学校に入れて、いい就職ができて、リッチな生活をさせてやりたい。親はみな、そう考えている。
入試が、子供に負担が少なく、しかも子供の特性を的確に判断できるようなものになったとしても、競争は決してなくならないだろう。親も子も、捜してでも、競争を見つけ出すだろう。欲望と競争は双子の兄弟だからだ。
欲望はきわめて健全な感情である。それなら、競争があることを嘆くよりも、いっそのこと、競争を楽しんだらどうだろうか。

いつも勝とうと思うから苦しいのである。三回に一度勝てばよいじゃないか。負けて勝つ、ということもある。ゲーム感覚で試験を楽しむのである。実際、子供はそうしているように見える。

高校入試、大学入試、就職試験、資格試験等々、受験ゲームから逃れることはできない。
人生はゲームの連続ならば、それを楽しまない手はないだろう。

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退職教員也 暇人である

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