このニュース、2014年にイラン起こった事件で絞首刑になった女性が母へ送った手紙についての話題です。

10月25日、元インテリアデザイナーの女性レイハネ・ジャバネさん(26)が、彼女に性的暴行を加えようとしたイラン元情報省職員のモルテザ・アブドラリ・サルバンディ氏を殺害した罪で絞首刑に処された。彼女は、自分の母親に最後の手紙を送っていた。

出典 http://www.huffingtonpost.jp

この文を読んだ印象からすると、日本人の感覚では正当防衛のような気がするのですが…

なぜ、死刑になったのでしょう。

胸が張り裂けそうになる手紙は、2014年4月に書かれたものだ。イランの民主化を求める活動家たちにより26日に公開され、広く読まれるように公開されている。手紙は、レイハネ・ジャバリさんから彼女の母親ショレー・パクラバンさんに送られた。母親は、殺人罪に問われている娘の代わりに自分を絞首刑にして欲しいと判事に申し出ていた。

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娘のジャバリさんに届いたのかどうかは定かではありませんが、母親のショレー・パクラバンさん、娘さんを救うために尽力した部分もあったのですね。

◎手紙の内容はこちら

ショレー様、今日、私は、自分自身がキサース(イランの刑罰システムの一つで、被害者が受けたものと同様の苦痛を自ら受ける罰) を受けなければならなくなったと知りました。私が人生の最終ページにたどり着いてしまったことを、どうしてあなたから教えてくれなかったのだろうと傷ついています。知るべきではないと思ったのですか?お母さんが悲しんでいることが、私にとってどんなに辛いことかわかりますか? お母さんとお父さんの手にキスをするチャンスをどうしてくれなかったのでしょう?

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根底が宗教の国の風習は、日本のような民主主義国家にとっては疑問符だらけにとれます。
イスラム教の教えの一つに、目には目を、歯には歯をという文言が御座いますが、原文を忠実に訳すと目には目で、歯には歯でという意味です。
ですので、このキサースという刑罰は以前、半沢直樹が流行らせた「倍返しだ!」という過剰な報復を防ぐために律されたものなのですね。
ジャバリさんの場合、理由や動機はどうあれ犯した罪が「殺人」ですから、死刑ということなのでしょう。
胸中は、死刑になることへの不安といった類のものではなく、それを知っていたと思しき母の苦しみ、両親への感謝を告げられなかった思いが綴られているように感じます。

世界は、私を19年間生かしてくれました。あのぞっとするような恐ろしい夜に、私は殺されたらよかったのです。私の体は、街の隅に投げ捨てられていたことでしょう。数日後に、警察が母を死体安置所まで連れて行って私の身元確認を行い、そこで私がレイプされたという事実も知ることになるのです。容疑者が捕まることはなかったでしょう。私たちには、彼らのような財産も力もありませんから。その後、お母さんは苦しみと恥辱と共に生き、数年後、苦しみに耐えられず死んでしまうのです。それでおしまいです。

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男尊女卑のようですから、裁判も男尊女卑なのでしょうかね。
イスラム圏の国家ですと、例えばレイプされた女性も罰を受けるという法がまかり通っている国もあるくらいですから、容疑者が公務員ですと捜査もキッチリと行われないイメージがあります。
それが当たり前の世界があるのですから、平和国家で生まれ育ったわたくし達にとっては信じられない世界です。

しかし、呪われた一文によって、筋書きは変わってしまいました。私の体は打ち捨てられることなく、 エヴィーン刑務所という寂しげな墓地に放り込まれるでしょう。今はシャル・エライ刑務所に収監されています。しかし、私は、運命を受け入れ、異議申し立てはしません。お母さんなら、死が人生の終わりではないと分かってくれますよね。

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呪われた一文というのは、「キサース」のことを意味しているのでしょうか。
我々からすると理不尽かつ不条理な裁定に思えるものですが、異議申し立てをしないという心理はどういうものなのでしょうね。
きっと我々が受けてきた教育とは異なる教育がすり込まれているのでしょうね。
例えば、他国からすると不思議でならないらしい、明白な戦争犯罪により数百万人もの同胞を先の大戦で殺されているにも関わらず、その加害国家を恨むことなくその言いなりになっている我々のように。

お母さんは、人は皆、この世界に経験を積むために、また物事を学ぶために生まれてくるのだと教えてくれました。誕生後すぐに、責任は自分自身の肩で背負わなければならないと。そして、時には戦わなければならないこともあると私は知りました。馬車に乗っていた男性が、私をむち打っていた男に抗議してくれたのに、その男はむちで馬車の男性の頭や顔を滅多打ちにして、そのまま死に至らしめてしまったという話をお母さんがしてくれたことを、私はよく覚えています。死んでも守り通さなければならない誇りが、この世界にはあることを私に教えてくれたのですよね。

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この話が、ジャバリさん幼き日の実話なのか母の創作話なのかは定かではありませんのですが、こういう話で人間の尊厳を学んだのでしょうか。

またお母さんは、私たちが学校へ行ったら、いじめや陰口にあっても、女性は女性らしく振る舞わなければならないと教えてくれました。どれだけ厳しくしつけてくれたか覚えていますか? でもお母さんの考えは間違いでした。この事件が起こったとき、教わったことは役に立ちませんでした。裁判に出席する私は、まるで冷血な殺人犯のようであり、残酷な犯罪者でしかなかったのです。涙は流しませんでした。許しを乞おうとも思いませんでした。泣き喚いたりすることもありませんでした。なぜなら、私は法を信じていたのです。

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ジャバリさんは、イスラム国家に生まれ育ちながらも、考え方は先進国や法治国家のそれが有ったのかも知れませんね。
宗教の土台がある以上、裁判に相対するときには嘆き悲しむなど、感情を前面に出したほうが温情に訴えるのかも知れませんね。
人の感情に訴えるのは、理よりも情なのかも知れません。

しかし、私は、事件に関わっているのに、意思を示さないと訴えられました。知っていますよね、私は蚊一匹殺したこともなければ、ゴキブリだって触覚をつかんで向こうへ放り投げるだけです。それがどうです、今の私は計画殺人犯です。私が動物の世話するのは、男の子になりたがっている証拠だと解釈されました。判事は、事件が起きた時、私の爪は長く伸びていてよく磨かれていたという事実には見向きもしません。判事から正義を期待する人がいるとしたら、その人はどんなに楽観的な人間なのでしょうか!

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手紙の書き始めは理性的に両親を心配する余裕がありましたが、徐々に裁判への不満が顕わになってきましたね。
この辺りから、母へ当てた内容ではなく、この不当な裁定を世界へ向けて発信し始めたように感じとれます。

判事はまた、私の手が、スポーツをする女性、特にボクサーのようにごつごつした手ではないという事実を問題にもしませんでした。あなたが私にその愛を注ぎ込んでくれたイランという国は、私を必要とはしませんでした。取調官から激しい尋問を受けて泣いているときも、酷い言葉を浴びせられているときも、誰も助けてくれないのです。美しさの最後のしるしである髪の毛を剃ったとき、私は報いを得ました。11日間の独房入りです。

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おそらく裁判は「キサース」に沿って淡々と粛々と行われたのではないのでしょうか。
ジャバリさんが泣き喚くでもなく冷静で冷淡な感じでいたのも、その傾向に拍車をかけたのではないかと思われます。
結果、「キサース」となることを、心のどこかで暗に受け入れていたのかも知れませんが。

お母様、何を聞いても泣かないでください。警察署で取り調べを受けた初日、未婚の年配職員が爪のことで私を非難しました。このとき、私は、今の時代に美しさなど求められていないのだと理解しました。見た目の美しさ、整然とした思考や美しい願い、美しい手書きの文字、きれいな目の色や、聡明さ、それから美しい声でさえも必要とされていないのです。
お母さん、私の信念は変わってしまいましたが、それはあなたのせいではありません。私の言葉は永遠に消えることはないのです。私はその言葉を全てある人に託しました。私が処刑されるとき、お母さんがそばにいなくても、またその存在を知らなくても、それはあなたのもとに届くでしょう。私が生きた証として、あなたのためにたくさんの手書きの言葉を残しました。
しかし、死ぬ前にお願いしたいことがあります。どんな方法でも構いません、お母さんの力を私に与えてください。私が、この世界から、この国から、そしてお母さんから求めているものはたったこれだけです。このために時間が必要なことはわかっています。

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女性としての尊厳を全て否定されたとのことなのでしょうね。
信念が変わったという意味がよく分らないのですが、人間的な考え方が宗教という土台に勝てなかったという意味にもとれます。

この後すぐに、私の意志の一部を伝えようと思います。どうか泣いたりしないで聞いて下さい。裁判所に行って、私の願いを伝えてほしいのです。刑務所の中からこのことを記した手紙を書くことはできません。看守長の許可を得ることはできないでしょうし、そんなことをしたら、またしてもお母さんが私のために苦しむことになってしまいます。これは、お母さんが私に同じことを頼んだとしても、私は少しも困らないと言える唯一のお願いなのです。私を処刑から救ってほしいとお願いしないようにとは何度も言いましたが。

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この手紙は、刑務所に入る前に書いているのでしょうか。
翻訳ですので、周囲の状況などがいまいち掴み難いのですが、母にどうしても伝えたい願いがあるようですね。

私の優しいお母さん、ショレー様、あなたは私の人生以上に私にとって大切な人です。私は土に埋まって朽ち果てるのは嫌です。私の目や私のまだ若い心臓が土に還ってしまうのは嫌なのです。私が絞首刑にされた後すぐに、私の心臓や腎臓、目、骨、それから移植可能なあらゆるものについて、それを私の体から取り出して、必要としている人にプレゼントとして提供する手筈を整えておいて下さい。レシピエント(臓器提供を受けた人)には私の名前を知らせないで下さい。ブーケのお供えも、私のための祈りも必要ありません。
またこれは、心の底からお願いしたいことです。私のためにお墓は作らないで下さい。お母さんが泣いたり苦しんだりしてしまうから。喪服も着ないで下さいね。私が苦しんだ日々についてはどうか頑張って忘れて下さい。あとは風が連れ去るのにまかせて。

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ジャバネさんは死後、臓器ドナーになりたいとのことですね。
そういうことですら、母へ託さなければならない世の中なのでしょうか。
そういう境地を味わったことがありませんが、わたしは自分の娘が正当防衛と思しき行為で死刑を宣告されその後、解剖され臓器をきりうりされるのは死んでも嫌です。

世界は私たちを愛してはくれませんでした。私の運命を受け止めてはくれなかったのです。私は世界に屈し、死を受け入れようと思います。神の裁判では、私は取調官たちを訴え、シャムロウ取調官を訴え、判事を訴え、それから私が目を覚ましているときは私を叩き、いつまでも辱めることをやめなかった最高裁の判事たちを訴えます。 創造主の裁判では、無知や虚言によって私を不当に扱い、私の権利を踏みにじり、現実に見えることが真実ではないことも時としてあるという事実を無視したファルバンディ医師、カシーム・シャバーニをはじめとする全ての人間を訴えます。
優しい心を持ったお母さん、私が行くもう一つの世界では、私とお母さんこそが原告であり、他の者たちは被告です。神が何をお望みになるか見たいと思います。死ぬまでずっとお母さんを抱きしめていたかった。あなたを愛しています。
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出典 http://www.huffingtonpost.jp

生前の世界と同じような形で死後の世界があるという認識なのでしょうかね。
日本でも、死後の世界はあるという意見は有ると思いますが、現世と同等の存在ではないのですが、不条理なものを受け入れてしまうということは死語の世界の観念が日本人と違うのでしょうね。

◎キサースとは?

キサース(قصاص)は、イスラーム刑法に定めのある刑罰のひとつで、裁判官の監視の下、被害者が蒙ったのと同様の苦痛を加害者に与える刑罰(同害報復刑)である。具体的には殺人や傷害に対して適用される。
殺人犯に対して、遺族は裁判官(カーディー)の前で、キサースによる死刑かディーヤ(血の代償金)とよばれる賠償金を取るかのいずれかを選択する権利を与えられる。傷害に対しても、同様の傷害を負わせるか、ディーヤを取るかのいずれかを選択できる。
イスラーム以前のアラビアでは私的な復讐が普通であり、時には際限ない争いへと発展することもあった。キサース刑は刑罰自体は復讐原理(目には目を、歯には歯を)にのっとっているが、復讐を公権力の監視下に置き、統制する目的があったとされる。また、クルアーンにはディーヤで満足することをキサースを要求するより推奨する文言も存在する。
キサースは殺人犯・傷害犯のみに適用され、刑罰も罪状と同様としていることから、婚外セックスや同性セックス、イスラームからの離脱などに対する石打ちによる死刑を含むハッド刑よりは、現代の人権の観点からしても極端に不当な刑罰ではないとされる。また、死刑の執行に関しては弱い立場におかれた遺族の選択によってのみ処刑が決まり、遺族が許すのなら死刑は絶対に施行されないプロチョイス的な死刑観を持つのは、メジャーな法体系の中ではシャリーアだけである。ただし囚人の人体を(時には永久に)損傷させる刑罰は過酷すぎる刑罰のひとつとして現代刑法では避けられており、その点で批判の対象になることもある。また、当然のことながら死刑廃止論者もキサースとしての死刑に反対している。

出典 https://ja.wikipedia.org

殺人犯に対してのキサースは、遺族がキサースによる死刑か賠償金をとるかを選べるようですね。
個人的に、こういう制度は悪くない制度だとは思うのですが、そこにいきつくまでの運用が日本人からすると納得いかないところでしょうね。

この事件、このニュースから察すると、「正当防衛」的な殺人行為ですから、キサースを適用するべきでないでしょう。

我々の価値観では。

この手紙を読み終えてわたくしなりに感じたことは、この手紙は母に宛てたものに違いはないのですが、それと同時にこの閉鎖的で不平等な現実を世界中に知ってほしかったのではないでしょうか。

我々が、今すぐに行動に移せないにせよ、こういった世界や事例があるということを知っておくだけでも、ジャバネさんが残した手紙が無意味なものでないと思っております。

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