ジョージ・ミュラーは、複数の孤児院を設立し、その経営を「祈りによって」なした「祈りの人」、「信仰の人」として有名です。

英国で60年以上にわたり一万人以上の孤児を養い、世話を続けました。牧師でもありました。

日本に来日したこともあり、新島襄に招聘されて同志社で講演をしたり、山室軍平などに大きな影響を与えたようです。

ジョージ・フレデリック・ミュラー(George Fredrick Müller )

出典 https://ja.wikipedia.org

ジョージ・ミュラーの生涯

ジョージ・ミュラーが子供のころは、意外なことに非行少年として知られており、10歳のころには泥棒をするようになっていました。日常的にいつも嘘をつく男の子で、悪い友人相手に賭け事をしたり、お酒を飲んだりと遊び呆けていました。

そんな彼にも転機が訪れます。1825年 お友達に誘われて、小さな家で行われたキリスト教の集会に参加した後、回心しキリスト教の信仰を持ちます。

産業革命の余波で数多くの貧困家庭の子供たち、孤児たちが路頭にさまよっているのを見て、孤児の面倒を見る人になることを誓ったジョージ・ミュラー。

30人の子どものために最初の孤児院を開いた後、施設と孤児の数も増え、多いときには毎日約2千百人の孤児を食べさせなければなりませんでした。

孤児たちを養い食べさせていくために祈らなければならない日々が続き、ミュラーは絶え間ない祈りによって孤児院に必要なすべてのものを切に求め、5万回も祈りが答えられたと言われています。

自らも生涯8万ポンド以上を献げ、彼の働きに共感し神に心動かされた人々の献げ物によって働きが続けられていくのでした。

ジョージ・ミュラーの有名な逸話

「あるときは、子供達が起きて、朝食のために食卓に座っても、食べるもの飲むものが全くなかった。しかしジョージ・ミューラーは子供達と一緒に食前の祈りを捧げ、子供達を食卓に座らせた。
そのとき、ドアをノックする音が聞こえ、焼きたてのパンとミルクが届いた。
近くで行われる予定だったイベントがキャンセルになり、このままだったら廃棄しなければならないと考えていると孤児院が見えたので食べてもらおうと思ったとのこと・・・それはパン工場の労働者達のピクニック用のお弁当だった。大雨でピクニックが中止になったのである。」

出典『ジョージ・ミュラーの祈りの秘訣』 いのちのことば社

周りの人や世俗に頼らず、ただ祈りによって「神のみに頼る」という信仰のスタイル(フェイス・ミッション)を生涯貫き、彼に関するいくつかの本も出版されています。

その祈りと信仰によって多くの孤児たちを救済したジョージ・ミュラーは、日本の孤児院にも影響を与えており、孤児事業のパイオニアとなった石井十次の岡山孤児院のモデルとなり、石井の思想に決定的な影響を与えたと言われています。

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