あれ程の揺れと津波に、あれ程の爆発である。しかも4基立て続けに。
レベル7というが単純計算するとレベル28相当である。にもかかわらず
福島第一原発事故を気にしない人たちがいる。

「なあ、山田(仮称)、自然界にも放射線はあるんだ。大した事ない。原爆
を落とされた広島だって、地方の中核都市として復興してるじゃないか」。
これは会社の先輩の発言である。曲がりなりにも西の最高学府を出た人だ。

自然放射線と人工放射線の違いが分らないのだろうか。

子供がいる会社の後輩には「西日本の工場に異動願い出せ。東京も危ない」
と助言したこともあったが、「福島は収束したんじゃないのですか?」と
いう反応である。
「俺は言ったからな。後で何があっても知らないからな。こうなったら自己
責任だぞ」。両方共、2013年のことである。
会社の他の人間も平気で外食に行くし、コンビニ弁当を食べる。会社の給湯
室の湯で平気でコーヒーを飲んでいた。当時、既に都内の浄水場から放射能
が検出されたというニュースも出ていたはずなのだが・・・。

この無防備さはどこから来るのか、当時、私は考えた。
文明社会に飼い馴らされて危険予知能力、生存本能が退化してしまったの
ではないのか。
福島第一が爆発した時、福島の一部の人たちはすぐに逃げた。
南へ、あるいは北へ。福島に限らず首都圏の人間でも西日本などに逃げた。
そんな知人が何人かいる。みんな若い女性だった。フットワークが軽い人たち。
この危険予知能力、生存本能の強弱がこれから、大きな差を生む気がする。
危険予知能力の低い人は危険回避のための情報収集の必要性も感じず、
進歩もなく行動も伴わない。
一方、危険予知能力の高い人は、危険回避のための情報収集も絶え間なく続け、
情報量は高まる一方だ。そうじゃない人との情報の非対称は深まるばかり。
既存メディアでは報道されない情報もインターネットで探索すれば、すぐ手に
入る。
その結果、内部被曝を避けるための食事行動(外食を避ける等)、食材選択、
脱被曝食品の積極的採用、デトックス、あるいは移住準備が可能となる。

危険予知能力あるいは生存本能の強弱が、両者の運命を大きく分ける気がする。
今、福島に暮らす住民の中には内部被曝を防ぐ様々な工夫を実行している
人たちもいる。
もしかしたら自己防衛も満足に出来ない「フクシマを気にしない人たち」の方
が、皮肉にも先が見えない(短い)のかもしれない。

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