観光地の施設を作る会社の国際担当だったお客さんの話

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青田敦則さん(仮・46)は、筆者の営む洋楽バーの常連様である。

青田さんは高校卒業までは日本にいたが、日本の教育制度等に疑問を持ち、英国に渡り現地の大学を卒業し、国際的な観光施設等のメーカーに就職の為に、日本に帰国した。

筆者と青田さんが初めて会ったのは2006年。時々店に来る六本木ヒルズで生活をしているという社長のお連れ様というスタートだった。その縁で、この時は台湾のプロジェクトで現地駐在していたが、台湾から日本に出張若しくは一時帰国した時に寄ってくれるようになった。

筆者の記憶では、当時青田さんは独身ということは聞いていたが、細かいことは分からなかった。

暫くして常連になり、周りのお客さんや筆者とも、それとなく雑談をするようになり、青田さんが実は離婚経験があることが分かった。

いつも低いトーンで「出張から帰ったら、いなかったんだよ、はっはっはっ…」というセリフを言うも、特に誰も突っ込まなかったので、その内容は筆者も分からなかった。

そのまま時は流れ、青田さんは日本に帰国、閑職に異動させられ、転職を決意。大手防犯機器メーカーの国際担当課長として、ヘッド・ハンティングに近いカタチで入社。その後、中国・韓国・ロシア…色々な出張をし、一年の半分くらいを海外で過ごす世界を股に掛けたビジネスマンという感じで活躍している。

そんな青田さんだが、たまたまカウンター席全員が離婚歴のある人たちで、そういうトピックになった時、あまり話さなかったプライベートな話を始めた…。

長期に及ぶ夫婦喧嘩をしている最中

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青田さんは、28歳で結婚をしたそうだが、31歳の時に、早くも夫婦の危機を迎えていた。

お互い言いたいことを言いすぎたり言わなすぎたり…。我慢したり我慢しなさすぎたり…。特に若い男と女の中では「よくあること」が、青田夫婦にも起きていたいたようだ。

「話し合いをきちんとしよう」という考えを持っていた青田さんだったが、奥さんの反応は芳しくなく、既に結論を出しているかのような態度だったそうだ。

観光施設関係の仕事だった青田さんは、ハワイでの社運を賭けた遊戯施設への営業活動や商談の為に…。

前から決まっていた断れないハワイ出張

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非常に大きな仕事だった。31歳の青田さんには、非常に大きなチャンスであったし、会社としても、今後の方向性に大きな影響が出るプロジェクトだった。

「なんで、こんな最悪な時に…」青田さんは、夫婦仲が完全に冷え切った状態のまま、話し合いの場も持てずに、ハワイへの約一か月に及ぶ出張に旅立った。

商談は成功

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ハワイに来て約10日後、一つの山であった遊戯施設の商談を、得意の語学力と交渉力で成功させ、まずは一安心という状態になった。

この10日間は、寝る間も惜しんで朝から働き、夜のお付き合いもこなし、仕事に集中することで、今自分が置かれている状況から逃れることが出来た…。

出張も後半戦、自宅に電話をすると…

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ハワイに来て初めての休日。10日以上昼も夜も激しく動き回った青田さんは、夜中にホテルの部屋に戻ると、死んだように翌日の昼まで熟睡をした。

起きると、ハワイに来てから一度も見ていなかった海を見に行った。

自分独りの時間だった。

急に、家のことが気になった。奥さんが待っているはずの自宅に電話をした。

電話は何度掛けても誰も出なかった。

次の日も、その次の日も…。

帰国

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精神的にはハードだったが、どうにか仕事的には成果を上げ帰国し、自宅に戻ることになった。

空港からも電話をしたが、自宅の電話は誰も出ない。

もう10日以上電話を掛けているが、誰も出ない。

色々な嫌な想像をしながら自宅に帰ると…。

見事に空

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まさか、ここまでするとは…。

自宅には、何も無かった。床に「さようなら」だけのメモ用紙のような置手紙と結婚指輪。

青田さんの物も無くなっているほど何も無かった。

「もしかしたら…」と思い、車庫に車を見に行くと…。

買ったばかりのメルセデスも無くなっている。

「参った…」

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奥さんもいない、家具も車もない…。

「なんか、もう、どうでもいいかなぁ。会社も辞めて、一人でどうにかなるまで、のんびり暮らしちゃおうかなぁ…。もうヤケクソだ!」とも思ったが、冷静になって考えると、結婚していたわけで、自分の親は勿論、奥さんの親にも、この状況を説明しないとならないわけだ。

一週間程度、残念で不本意な独り暮らしをしたが、やっと重い腰が上がった。

義母に報告に行かなきゃ…

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青田さんは電話をした、「もしもし、お義母さんですか?敦則です、ご無沙汰しています。あのぅ、少々お話したいことがあって、お伺いしたいのですが、よろしいですか?」

すると、お義母さんは、「あっ、こっちも話したいことがあるのよ~、敦則君待ってるからね!」と割と元気に対応された。

青田さんの「話し」と、お義母さんの「話し」は違う内容だということは予想がついた。

二世帯住宅の青写真

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横浜にある奥さんの実家に着くと、お義母さんが一人で出迎えてくれた。

「あら~、敦則君、いらっしゃい…。丁度いいところに来てくれたわ~」

青田さんは、お義母さんの明るいお迎えに、第一声で本題に入ることは出来なくなってしまった。

お義母さんは続ける、「敦則君ね、この土地に新しい家を建てて、二世帯住宅にしようと思っているの、こちらで全部準備しますから、どう?」と…。

青田さんは、お義母さんは何もまだ知らないのだと思った。余計言いにくくなった。自分たちの為に、建築家の描いた図面があって、二世帯住宅へのプランが進んでいるからだ。

「あの、お義母さん。いなくなっちゃったんです!」

数十分、お義母さんの嬉しそうな二世帯住宅のプランの話に付き合ってしまったが、もう耐えられなくなってしまった…。

「海外出張から帰ったら、いなくなっちゃって、荷物も車もなくって…、もう、僕、何もないんです…」

流石に、堪え切れずに青田さんは涙を流した。

「あら、どうしましょう、取り合えず…涙吹いて…、あ~、どうしましょう…」

お義母さんが落ち着かない様子だった。急すぎて、その現実を受け止められないようであった。

暫く、青田さんが、その状況について説明をした。

お義母さんも落ち着いて聞いてくれた。

「そうだったの…、敦則君ごめんね…」

お義母さんは、「そんな娘でごめん」と「二世帯住宅の話しばかりしてごめん」の二つの意味で「ごめんね」を言ったように青田さんには聞こえた。

「間も無くお義父さんも帰ってくるから、その話をしましょう」

お義母さんは、青田さんに、そう言った。

青田さんは、お義父さんには怒られるのではないかという気がしていた。

「うちの娘を大事にしてくれなかったんじゃないか?」と。

青田さんは、肚を決め、お義父さんの帰宅を待った。

そして、お義父さんが帰宅した

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「お~、敦則君かぁ、元気か?」と、いつも調子で挨拶をされると…。

お義母さんが、「あなた、とても大変なことになったの、聞いてくれる?」と、お義父さんに言った。

様子がおかしいことを、お義父さんは直ぐに察した。

お義母さんが、青田さんから聞いた話を一通りすると…。

「そうか…。まぁ、いつも通り、敦則君の好きな、あの中華料理屋に行こうよ!飯を食って、話でもしようよ」と、辛い話をしているにも拘らず、青田さんを責めることもなく、取り乱すこともなく、気丈に振舞った。

まぁ、いつものように、中華でも食べようよ!

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もう二度と会わないことになるかもしれない義理の親子で、今までは当たり前の景色だった「いつもの中華料理屋」で、食事をすることになった。

今までは、青田さん夫婦と、義理の両親とで集まると、楽しく食事をする場所で、青田さんも大好きなお店だった。しかし、こんな悲しい気持ちで来ることになるとは…。

その中で、気丈さを保つお義父さんの振る舞いに、食事が始まるとすぐに青田さんは号泣してしまった。

一貫してお義父さんは「そんなこともあるさ」という雰囲気を出していた。

最後の最後まで、お義父さんは、そのことについて何も言わなかった。

離婚が正式に決まった

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青田さんは、その後、正式に離婚届けを出し、独身になってしまった。

青田さんは、奥さんのことを嫌いになっていたわけではないし、義理の両親との関係も悪くなかったので、非常に大きな喪失感を抱えながら、生きていくことになった。

夜、布団に入ると、涙で枕を濡らす毎日であった。

仕事に集中するしかない!

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こうなったら、仕事を頑張るしかない!

そう思った青田さんは、海外駐在の異動願を出し、台湾の大きなプロジェクトに参加することになった。

そして、暫くした頃、日本にいる時は筆者の店に来るようになった。

正にバリバリのビジネスマンという雰囲気であったのを覚えている。

そして数年間、台湾と日本の往復をしたが、日本に戻った青田さんが、40歳になったころ、彼女が出来た。久し振りに恋愛をした。

筆者の店に彼女と来ることも増えた。

再婚

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そして二度目の結婚をした。

離婚をして、独りで過ごした時間が長かったので、前回の結婚で自分の何が悪かったか、どうすれば良かったか、色々考えたそうだ。

前回よりは絶対に上手くいくはずだ!

その自信をつけていた青田さんは、以前より凛とした表情になっていた。

43歳にして、父親になる

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随分遠回りだった…。

でも、43歳で娘と対面できた。父親になった。

「結婚して、家族を持って、子どもがいて、仕事が出来る」

当たり前のように感じるが、実はその中に素晴らしい幸せがある。

青田さんは筆者にそう言った。

筆者も同時期に父親になった。今では「子育て談義」をするようになった。

青田さんと出会って10年。青田さんが一番充実している今に立ち合えている気がする。

家族って幸せ

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遠回りをした男の発言は、どんな勉強をしたり、どんな本を読んだりすることよりも、筆者に響いた。

あまり店番をしていてお客さんの話でもらい泣きをするようなことは無かったが、たまたま並んだ離婚経験者ばかりのカウンター、青田さんの話に皆ハンカチを握った…。

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東京都大田区大森生まれ。立正大学附属立正高等学校、尚美学園短期大学音楽ビジネス学科、放送大学教養学部生活福祉専攻卒業。STAY UP LATEオーナー。 ライター業と、セミナー講師、司会業も実質少々。江戸川区在住、一児の父。愛猫家。

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