長州藩の伊藤博文公は伊予藩湯築城を築城した
河野家の部下林淡路守の子孫だと
伊藤博文公が道後温泉を訪問した時語ったのだ。
織田信長が四国制覇し、河野家一族は長州藩へ逃亡したのだ。
林淡路守は松山市東部の淡路が峠に淡路が城を築城していたのだ。
地元有志により淡路が峠に記念碑を建立する予定だったが、
伊藤博文公はハルピンで暗殺されたため、立ち消えになったのだ。
この事実は松山市桑原公民館発行の「続ふるさと桑原」に掲載されているのだ。

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43年前にプログラマーを経験しました。当時はペーパレスが人気でした。私は社内事務近代化準備室でシステム作りを経験しました。パソコンの基本は“習うより慣れろ”、”Try&Error"なのです。私はブログマニアです。新聞記事からブログを書いていました。最近は新聞記事へのコメント投入が日課です。パソコンとトップページはMSNです。従来、産経新聞一社でしたが、各新聞社の記事になりました。

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