12月はやり残した事を思い出す月。

僕は今33歳で来年34歳になる。
カウントダウンやクリスマスに浮かれることが無くなって、昔を振り返ってしまう齢になった。
思い出に浸っていると、小学校時代のくーちゃんを思い出した。
なんで思い出したかわからない。
ただ思い出したら、いろいろと気にかかる事があった。
今回はふざけないし、真面目に書こうと思う。 

僕が小学生の頃の話をします。

僕が通った小学校は都内でも有数の高級住宅地にあった。
名前は明かせないが、一流企業の重役の子供や医者の子供が多く通っていた。
教育にも力をいれていて、当時珍しかったパソコンをいち早く導入していたし、交換留学生も多くいたもんだ。
旧電電公社の子弟で普通の生活レベルという、今考えると凄まじい環境にあった学校だった。
親父が小さな会社だったが社長をやっていたおかげで、僕はその中では普通の扱いだった。


ただその中でも、貧しい家庭の子供はいる。
そういう子はクラスではどんな扱いになるのか?


その答えは、貧しい家庭同士の子供で集まるのだ。



金持ちの子弟は幼い頃から塾や習い事をし、授業中でもお受験の為に受験勉強をしていて休み時間には英語の勉強や塾の課題を解いているか、有名中学の過去問を友人同士で出し合っている。
普通の子はなんかしらのゲームを持ち込んで遊んでいたり、机で友達とテレビの話とかをしている。
貧しい家の子は、廊下を駆け回ったりプロレスごっこをしたりして遊んでいた。
金持ちと普通の子が絡んでも、貧しい家庭の子供達とは積極的に絡まない。


むしろ評判が悪い家庭や貧しい家庭の子供とは遊ぶなと親が子供に教えていた。


僕は普通の家庭の子だったから普通の子はもちろん、金持ちの子とも仲良くしていた。
金持ちの子や普通の家の子と話していると、ふとしたタイミングで貧しい家庭の子の話になる。
そうなると対外「ママが○○ちゃんとは悪い子になるから遊ぶなって。」「あの子と遊んでいると、馬鹿になるから遊んじゃダメだって言うんだよ。」等と言う答えが出た。


小学生の頃の親なんて絶対的なものだ。
その絶対的な人が子にそう命令を下すならば、子供はそれに従うしかない。
でも子供は本当は遊んでみたいのかもしれない。
じゃなければ家庭内で親の言っている秘密の事を他の子に言わないだろう。


そんなこんなで僕のいたクラスでは必然に近い形で、自然と3つのグループに分かれていた。
先生もある程度固まっている方が管理しやすかったからか、無理やりグループ同士を交流させようという気はなかったようだ。


でもそんな3つのグループに属さない子がいた。
それが冒頭で述べたくーちゃんだ。


彼は知能に障害がある子だった。

転校をしてきたくーちゃん

彼は僕が4年生の頃に転校をしてきた。
もともとは特殊学級に通っていたが、親御さんの意向で普通の学級に通わせたいという意向だった。


彼の転校初日の自己紹介は今でも覚えている。
担任の先生に自己紹介を促された際に、吃音交じりの声で「くーです。よろしく。」といった後に、奇声を発しながら教室を走り回った。
先生は必死にくーちゃんをなだめて、おって「ちょっと変わった子だから皆よろしく」的な事を言っていた。


それを見てみんなざわついていた。
誰もが衝撃を受けていたと思う。
少なくとも幼い僕にとっては印象が強すぎた。
「やばい奴だ」これが正直な僕の第一印象だったと思う。


その第一印象は外れていなかった。


彼とは家が近く、下校の際にはよく見かけたが下級生の子を追っかけていたり、小さな猫を追いかけたり、上級生にからかわれて逃げ回っていたりとなんかいつも走っていたと思う。
その際はいつも「うおおおおおお!!!!」と叫んでいた。


彼はいつでも叫んでは走っていた。


それが授業中でもだ。
くーちゃんは転校してきて、クラスの誰にも相手にされていなかったのでつまらなかったんだろう。
相手をしようにも言葉が通じないし、身振り手振りでも伝わらない。
だから誰からでも無視されていた。
無視されれば無視されるほど彼はより大きく奇声をあげては教室から出ようとしていた。
それを止めるために担任は授業を止める。
毎日それの繰り返し。


僕は当時から不真面目な子だったので、授業中の安眠を妨げる彼を正直に言って嫌いだった。
そんな僕より嫌っていたのは金持ちのグループだ。


彼らは授業中でも自分の勉強をしていた。
彼らは親からも塾からもプレッシャーをかけられ続けられた。
彼らは小学生らしからぬストレスを抱えていた。
彼らは普通の子や貧乏の子の様に遊ぶ事が許されなかった。
彼らのストレスは1年後に悪意と変わった。

クラス替えとくーちゃんの秘密。

学年が上がり、5年生になってクラス替えがあり、僕はくーちゃんとは違うクラスになった。
またくーちゃんと一緒のクラスになった友達は誰もが嫌だと言っていたが、授業中の安眠を取り戻した僕は彼と離れた事が心底嬉しかった。


春が過ぎて夏休み前だったろうか?
くーちゃんの母親が僕の家に来た。醤油と味噌を借りに来た。



僕の母とくーちゃんの母親はPTAで知り合い、家が近所だという事もあって比較的親交があったのだ。
僕の母はくーちゃんの家庭を僕に包み隠さず教えてくれた。


くーちゃんの家はお母さんがシングルマザーでくーちゃんと上のお兄ちゃんの3人家族で、お母さんは家計を稼ぐために昼夜問わずに働いていた。
それだけならいいのだが、彼女はパチンコ依存症だったのでせっかくもらった給料もパチンコで注ぎ込んでしまうので、ちょくちょく食費もなくなってしまい、近隣の知り合いの所にお金なり食材を無心に訪れるのだ。
彼女のその時の言い訳は「うちの子あんなんでしょ?だからストレスが溜まってつい注ぎ込んじゃうのよ。仕事休みの時はできるだけ家にいたくないからついつい。」との事だ。


ある家の人がそんな彼女にそんなんじゃダメだと説教をした際に彼女は「子供が知的障害者になった私の気持ちなんてわからないでしょ??偉そうに言うな!!」とわめき散らしたらしい。

そう、くーちゃんは先天的な知的障害ではなく、後天的な障害だったのだ
原因はもっと小さい時に生死をさまよう位の頭部へのダメージ。
それがきっかけだったらしい。


僕の母は包み隠さず僕に教えてくれた。
そしていつも最後に「何かを彼にしろは言わない。何が正しいかをよく考えて行動しなさい。」と言っていた。
僕は彼が嫌いだったし、クラスも変わったので彼に関わらないよといつも言っていた。

始まったイジメ

僕が子供の頃、テレビドラマでキンキキッズが主役の「人間・失格」というドラマがあった。
進学校でのイジメの話だったが、インパクトが強すぎて「イジメ」という言葉が日本全国に浸透したドラマだったと思う。


夏が終わる頃だったか、くーちゃんがイジメられているとくーちゃんと同じクラスの友達が教えてくれた。


いつも通り授業中に叫びだしたくーちゃんを普通クラスの子が「毎日うるせーんだよ!」といきなり殴りつけたらしい。
当然奇声をあげながらくーちゃんは逃げ出すけど、その子はくーちゃんを追いかけて殴り続けたらしい。


その時は担任の先生が止めたが、その後も子はくーちゃんをイジメ続けた。
休み時間でも顔面をいきなり殴りつけたり、服を脱がせて、その服を投げ捨てて全裸にさせて校庭まで走らせてみたり。
そんな光景をよく見かけるようになった。
その子は学校でも有数の喧嘩が強い子で、逆らう子はいなかった。
それどころか彼がやっている事が楽しそうだからという理由で賛同する連中が出てきた。
それが主に裕福な子たちだ。


彼らはイジメをより高度にさせていった。
例えば顔を殴ってケガをさせたらバレルから顔から下を痛めつけるように指示をしたり、
理科実験室にある硫酸をくーちゃんに飲ませようとしてみたりしていたらしい。
ただ彼らは内申書に響いて受験ができなくなるから直接手を下さない。
それを違う人間にやらせるように仕向けていたのだ。
裕福な子たちが提案して、普通の子や貧乏な子はそれを面白がってやる。
それ以外の子たちは全て傍観者だ。


くーちゃんをいじめるという共通点の下で、金持ち、普通、貧乏の子のグループに交流ができていったのだ。

変わっていくくーちゃん

くーちゃんのイジメは続いていく。
前のように走らなくなったし、奇声をあげる事も少なくなった。
その代りいつもお腹を押さえていた。
痛かったのか、辛いのかわからないけれどいつもお腹を押さえていたのだ。


彼はいつも泣きながらも笑っていた。
それが気持ち悪いとまたいじめられていく。
殴られて奇声をあげながら泣くくーちゃん。
殴られ終わった後に殴った子に「ばーか」と言いまた殴られる。
それでも彼はいつも泣きながらも笑っていた。


ある日衝撃的なシーンを目にした。


僕らが高学年の頃気絶ゲームというものが流行った。
詳細は書かないが、複数人で身体のある部分を押すと一時的に酸欠になって気絶する。
それだけでも大変な事だが、気絶から早く冷めないと死んでしまうから殴る蹴るをして無理やり起こすというものだ。
やられた本人が文句を言うものなら、「せっかく助けてやったのにお前何言ってんの?」となりまた殴られるというばかげたゲームだ。


くーちゃんも例外なくそのゲームの被害者になっていた。
でも僕が驚いたのはみんなに囲まれて、身体を押されながらもくーちゃんが「やめてください。ごめんなさい。」とずっと叫んでいるのだ。


なぜそれが衝撃だったのか?
それは僕が知っているくーちゃんが話せる言葉は自分の名前以外は「ばーか」、「うおおおおお!」、「おはよ」、「やだ」、「やめて」、「つかれた」位しかなかったはずだ。
それは1年間一緒にいたので、僕はよく知っていた。
そのくーちゃんが「やめてください。ごめんなさい。」と言っている。
彼は今の自分の環境を変えたく、どこからか謝罪の言葉を覚えてきたのだ。


その吃音交じりの謝罪の言葉もイジメを楽しくさせるスパイスだったらしく、取り巻いている奴の一人が「やってくれだって??」と囃し立てて、また気絶をさせるためにくーちゃんを立たせる。
そんな光景が毎日のように先生の目を盗んで行われていた。



卒業してよく考えれば異常で悲惨な光景だったしやめろというべき事だが、僕はそれを言うには慣れすぎてしまっていた。
だから僕はそんな光景を見ても「またやってる」とスルーをしていた。

イジメの終わり。

イジメの終わりは唐突なものだった。
5年生の冬くらいになると金持ちの子達が、受験のラストパートをかけるために勉強の追い込みをかけ始めてイジメを続ける事が出来なくなった。
普通の子や貧乏の子達も、同じ反応しかしないくーちゃんをいじめてもつまらなくなったようで、違う子をいじめるようになった。
 

次第にいじめられなくなったくーちゃんは、大きな声をあげればまたいじめられると思うようになったんだろうか?
いつも授業中におとなしく自由帳にお絵かきをして過ごすようになったらしい。
とにかくくーちゃんにとって安息の日々が帰ってきた。
それは卒業の日まで何事もなく続いたらしい。


小学校を卒業して、中学入学までの春休み。
僕は違う所に引っ越した。
知っている友達が一人もいない所で新生活の始まりだ。
近場に友達がいるわけじゃないから、僕は入学式までの時間を本を読んで潰すようにした。
読みたい本も無くなったので、卒業アルバムの卒業文集を見返した。
くーちゃんの文集にはこう書かれていた。


「とても楽しかった。みんな遊んで、うれしい。楽しい。」

終わりに

くーちゃんの話はこれで終わりだ。
その後の彼がどんな中学生活だったかわからない。
一つわかっている事は彼は14歳の頃に亡くなったらしい
走っている車に向かって、走り出してそのまま跳ねられ死即だったらしい。
遺族の家族もどこかに越したと近所に住んでいる友達が教えてくれた。


なぜ僕が彼の話を書こうと思ったのかわからない。
ただ書かなければと思った。


書いている内に色々と聞いてみたい事が出来た。
それを書いて結びとする。

誰が一番悪いのか?

僕が書いたこの話で、誰が一番悪いんだろうか?
それをピックアップしてみた。


① 特殊学級から普通学級に転校を決めたさせた母親。
② 見て見ぬふりをする無気力な教師。
③ イジメをする子供。
④ 特殊な子を普通学級に受け入れた学校
⑤ 子供がイジメをしている事に気づかない親
⑥ 当時なんの行動も起こさなかったのに、こういう話を書いている僕
⑦ いじめられていたくーちゃん


これを読んだ人はよかったら考えてみて欲しい。
特に小さなお子さんをお持ちの方に一番考えてみて欲しい。
可能ならば、その答えを僕のツイッターに書き込んでみて欲しい。


たぶんこの問題に答えはないだろう。


ただ、考える事で問題への意識が高まり、本質を理解しようと思うのではないか?
こういった事が身近に起こった際に、どんな対処をしようか、未然に防ごうと備えるようになるのではないか?
僕はそう考える。

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33歳無職。
算明学の占いでは、龍高、車騎、調舒、禄存です。
社会生活では牽牛一本で頑張っていました。
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ゲストハウスで暮らしながら、ライター稼業を駆け出しました。
いろいろと書いていきたいと思います。
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