今の日本では特に日蓮聖人を中心とした大規模な宗教団体が多く名を連ねていますが、それらの多くはただ南無妙法蓮華経とお題目さえ唱えればすべて救われると教えていると思いますが、今日の分別功徳品でわかることは、それはそれで天神さまと共存する宗教としては成立しているということだと思います。
          
そして、それら宗教団体の多くは、法華経の経典は一応用いていますが、その法華経の内容よりも、日蓮聖人自身が法華経から説かれた教えが何であるかが中心であるのはまだうなずけますが、現在の宗教団体会長の政治討論などの教えのほうが更にエスカレートして行って受け入れられていて、その会長や対照の政治家が居なければ何も分からないといった情けない状況だと思います。...
          
これらは皆、鎌倉新仏教派の代表となる日蓮聖人、或いは親鸞聖人が大活躍した、当時中国から日本へもたらされてきた新たな禅に対して、その禅を組むだけがもたらしたものは激しい佛教論争そのものだったと考えられ、それを中国から譲り受けた形の当時の日本の幕府を交えた混乱合戦が今の今まで、止むことなく続いてきていると考えるしかありません。
              
皆さん、今こそこの法華経を堂々読もうではありませんか!
そして、日本にとって混乱の始まりである鎌倉時代から千年の歳月を超えて、今こそ日本で法華経を勝ち取ろうではありませんか!
 

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ぶっけん このユーザーの他の記事を見る

私は、まちづくりをもし専業にできたら素敵だと思っています。
世の中には、国造り、会社づくり、モノづくり、人づくり、お金づくり・・・さまざまな「つくり」がありますね。
その中でも、まちづくりとはわざわざ心掛けて作ろうとしなくとも、放っておけば出来上がるかのような最も漠然と掴みどころのないものに思えます。
しかし今あちこちで、何かとまちづくりが大切であると、なぜ呼びかけが始まりだしているのでしょう?
 
私は、まちづくりの動機の動機と言えば、ただのきっかけだけがカギを握っていると思います。
そして、まちづくりとは案外、国造りよりもっと大きな心がけを必要とするのではないかとも思えています。
それは、誰もが最も身近に感じ得る共通の課題意識であることである共に、一体まちづくりをどうすべきであるかは誰にも直接にはその責任や方法を知り難いことだからだと思います。
いわゆる、自分に直接降り掛からなければどうでも良いことこそが一番複雑で難しい問題であると言えるでしょうね。
ですから、その何か偶然のきっかけが必要なのです。
そのきっかけについて、関心がある人たちで話し合い、実行していけることが本業にすることができれば、私はきっと最高の喜びに違いないと思っています。

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