以前筆者は「平等」「公平」…うっかり意味を考えず使っていました

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筆者は以前、「平等」と「公平」の区別がつかず、間違えて人に指摘されたことがあります。

同じ意味じゃないのねぇ…と思いながら、では実質どのように違うのかを考えていきたいと思います。最後まで是非お付き合いください。

先ずは参考になるウィキペディアなどもご覧ください

そして、「平等」と「公平」はどのように違うかを考えたり調べたりして、今はこれから例をあげるそれぞれのイメージを持てるようになりました。

1・「平等」のイメージ

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写真のように、子供たちが「かけっこ」をしました。

それぞれ走る速さは違いますが、みんなよく頑張ったので、最後は手を繋ぎながら一斉にゴールし、全員同率首位ということにしました。

全員同じ一等賞の商品を貰いました。

全員同じ喜びを分かち合いました。

このようなことを、筆者は「平等」とイメージします。

2・「公平」のイメージ

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先程の「平等」の時のように、子供たちが「かけっこ」をしました。

それぞれの走る速さは、体の大きさや、運動能力の差などで異なるため、早くゴールをする人と、遅くゴールをする人がいました。

ということで、成果に応じた順位が付きました。

早かった人は勝ち、遅かった人は負けました。

順位に応じた賞を、それぞれが貰いました。

このようなことを、筆者は「公平」とイメージします。

ネット上で分かりやすい説明を見つけました

「平等」
個人の資質、能力、努力、成果に関係なく一定の規則通りに遇するシステムとなっ
ていること。
「公平」
すべての人に対し、機会が均等に与えられており、成果を上げた者が評価され、報
われるシステムとなっていること。

出典 http://www.grountec.net

ということで、筆者の例えは「平等」「公平」を説明できたと思います。

「平等」の究極は「共産主義」ですかねぇ…

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人々が、そもそも持っている資質や、後天的な努力・学習・技術の習得などの差を認めず、一定のものを分かち合うということが「平等」だとすると、「共産主義」というのはそれを理想としている気がしますが、読者の皆様いかがお考えでしょうか?

全国民が国家の下で公務員、給与は一緒、全員均等な配分…

出来ない人は出来る人と同じ、出来る人は出来ない人と同じ、普通の人も同じ…ならば努力しなくても同じ、努力しても同じ…とさぼらないのでしょうか?筆者は不思議な感じすらしてきます。

「公平」は、自由主義経済・民主主義なのかしら…

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たまたまフリー画像に、筆者の知っている選挙区の写真がありました。

この人たちは民主主義の国で衆議院議員選挙に出馬をした人々です。比例区を入れて5人中2人が当選しました。

彼らは前職であったり、元職であったり、初出馬であったりと、様々な条件で選挙戦を戦い、政党の力や支持基盤の厚さ、いろいろな条件や、勿論本人の努力や支援者の働き、色々な要素が絡み、国民に支持された人が当選しています。

「平等」であったら、そもそも選挙が出来ない気がしますし、競争原理を働かせてはいけないことになってしまい、こういう場合どうするのでしょうか…そういう時は独裁的な判断がされるのでしょうかねぇ…「公平」な考えがあるからこその民主主義であって「選挙」であるような気がしてきますが、読者の皆様、いかがでしょうか?

そして「男女平等」って…

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筆者、これは難しすぎると思います。

男女は、先ず平等とか公平とか、難しいことはわからないにしても、役割は違うと思います。勿論法の元で職業選択の自由や、待遇面での差別を無くそうというのは当然のことだと思いますが、基本的に体のつくりが違うことで、妊娠をすることや母乳を与えることや、それらをしない場合でも女性の感性・視点というのは多くの場合、男性とは違う役割を担うものであると思います。

一方男性も、妊娠や母乳は無理でも、多くの場合は筋力などで女性に勝ったり、男性ならではの発想などで、女性とは違う役割を担うことがあります。

勿論性差ではなく個人差の部分も大いにあることは承知していますが、役割が全く一緒ではないと思っています。

男女が本当に平等ならば、上半身裸の相撲を女性もやればいいですし、陸上競技なども男子・女子に分けずに一緒に走ることも許されることになるのですかね…それをいっても平等の主張を貫く合理的な理由はありますかね?読者の皆様、いかがでしょうか?筆者が無教養ですかね…

各個人の能力や努力を不問にして一律均等に分配するのをよしとするのが、結果平等主義である。これに対して、得られた結果や資源の分配を一定のルールに従い各個人の努力、能力、運などに基づいて分配することを認めようとするのが、ルール平等主義である。いずれにしても利害得失の諸個人間の分配に対する平等と公正の兼ね合いは、社会生活の存続にとって重要な課題である。

出典 https://kotobank.jp

この説明もわかりやすいですね。

ということで、いかがでたか?

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筆者は、「平等」と「公平」を混同していましたが、それらは相当違うものだということが分かりました。

この世の中には、体の大きい人・小さい人、男性・女性、異性愛・同性愛、年齢、経験、生い立ち…一人として同じ人は生まれてきません、その中でより「平等」に近い、不当な差の出ない世の中つくりは必要なのかと思っていますが、「かけっこ」で手を繋いで全員でゴール・インで全員1位の商品では、努力や練習の意味も無くなってしまいますし、怠け者照準になってしまう気がします。

頑張った人には頑張った分の、そうでない人にはそれなりに…

こういったことを「公平」と呼ぶのでしょうが、筆者はそうあるべきだと思いました。読者の皆様はいかがお考えでしたか?

最後までお読み頂き有り難うございます。

この記事を書いたユーザー

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東京都大田区大森生まれ。立正大学附属立正高等学校、尚美学園短期大学音楽ビジネス学科、放送大学教養学部生活福祉専攻卒業。STAY UP LATEオーナー。 ライター業と、セミナー講師、司会業も実質少々。江戸川区在住、一児の父。愛猫家。

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