地元でも屈指の名家の一人っ子として1935年に誕生した祖母。
そんな、将来が完全に約束されたお嬢様人生にケチがついたのが、1937年に勃発した日中戦争。

父・芳夫は戦死。この時祖母は3歳。芳夫の骨は日本にない。
同年、心身困憊がたたって母・奈津も他界。
その後、祖母は芳夫の姉の家に。

家族親戚の助け合い?
とんでもない。

芳夫の姉の目的は、戦死者遺族として祖母に支払われるお給金。
祖母はお金を根こそぎ奪われた上で奴隷の扱いを受ける。

数ある労働の中でも畑への水やりが一番辛かったらしい。
両手に1つずつ持ったバケツいっぱいの水を、ふもとの川から山頂近くの畑に運ぶという重労働。

そもそも普段から十分に食べさせて貰っていないからすぐヘロヘロになる。ただでさえ3歳児。
当然、畑に着く頃にはバケツに水なんてほとんど残っていない。
「水やりもろくにできない」ことに業を煮やした親戚。あろう事か「せっかん」という名目で全力の右手張り手を祖母に食らわす。右手の行き先はばぁちゃんの左耳。

こうして祖母は3歳にして、両親どころか左耳の聴覚まで失ってしまう。



戦後間もなく、戦死者遺族に支払われるお給金を使いきった親戚一家は祖母を養護施設へ即座に捨てた。
そしてその養護施設ってのも衛生的に十分じゃなかった。

思春期に差し掛かろうとする女の子が毎日ケジラミに悩まされる。
聞こえない左耳をバカにされた事もあっただろう。

そんな養護施設でのある日、施設のレクリエーションとしてみんなと映画を観に行った祖母。だけどその映画がつまらなくて一人外へぬけだした。

そしたら本当に、本当に偶然に、母・奈津さんのお姉さんがそこを通りがかった。外でボーっとしてたばぁちゃんをたまたま見つけた。

叔母さん、大きくなった祖母を一目ですぐわかったらしいけど、それが祖母だとはすぐに信じられなかった。父方の親戚宅ですくすく育っているはずなのにボロい格好で路頭に迷ってたから。

まさか全財産と左耳の聴覚を奪われたなんて想像もしてなかった。



この話を聞いた時に自分の幼少時代を思い出した。
それは祖母に内緒話を持ちかけた時。よりによって祖母の左耳に内緒話をしてしまった。
「マサ君ゴメンよ。おばあちゃんこっちの耳が聞こえんのよ。」
あの時の祖母の悲しげな表情は今だ忘れられない。

終戦記念日に想う、ばぁちゃんの矜持

出典 http://s.ameblo.jp

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イジメ克服ミュージシャンのブン このユーザーの他の記事を見る

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