あなたはこの男の名を聞いたことがあるだろうか…
筋肉の為に生き、筋肉の為に死んだ男を。
狂気的なまでに己の道を突き進んだ男を知ってほしい。
知る人ぞ知る伝説の男に今回はスポットライトをあてたい。

この男に影響を受けた人は数知れない

マッスル北村(本名:北村克己)はアジア人としては規格外の筋肉と怪力を誇った伝説のボディビルダーだ。
筋トレに励む人間ならプロ・アマ問わず誰でも知っている神様のような存在。
アメトークのゴールドジム芸人にも出演したボディービルダーの鈴木雅選手(現在全日本ボディビル選手権6連覇中)らトップビルダーもこの男に影響を受けている人は多い。

”マッスル北村”の驚愕の人生

1960年10月6日 東京都で生を受ける。

「幼少期~高校生時代」

子供の頃からずば抜けた体力の持ち主であり、中学の健康診断の肺活量測定ではメーターが振り切れ測定不能に。
学業も優秀で理想的な優等生であった。
彼は常軌を逸した超絶努力である、例えば「この本の内容を全て覚えるまで、家に帰らない、食事もしない」と決めたら、本当に帰ってこなかったという行動が一例。

高校生時代は自転車に熱中しており競輪選手を目指す、部屋中を自転車雑誌や自転車のパーツで埋め尽くし、北村独自のトレーニングを実施していた。ある日、深夜2時に家を出発し、推定距離200kmをただひたすら走り続けるという計画を立て、実際に行動をおこす。16時間ぶっ通しで、推定約200kmのアップダウンの激しい坂道を含む道中を漕ぎ続け、その際喉が渇きすぎたのでようやく漕ぐのを止めて、持ってきた牛乳を一気に飲みほした。しかしその牛乳は完全に腐っており、道中で意識を失い病院に運び込まれる。

それ以外にもなんの目的があって?と思うほど自分を殺すくらいの勢いで長距離サイクリングやマラソン、拳立てふせを繰り返し己の体をいじめ抜く。
無謀にも東京~仙台間の連続サイクリングに挑戦、結果脱水症状で病院に運び込まれる。
ゲームセンターのパンチングマシーンを2台故障させるなどなど。

「大学生時代」

学業も優秀であった北村は大学入試を現役で防衛医科大学と早稲田大学理工学部に合格したが、入学せずに浪人の道を選び、二浪して、東京に入学する。
その後偶然東大ボディビル部の先輩と出会い、進められるまま関東学生選手権に出場するも当時55kg程度しかなかった北村は惨敗する。
自らの肉体に情けなさと激しい怒りがこみ上げ東大に通わず、日雇いのアルバイトで金を稼ぎ、狂ったようにトレーニングする。

注目したいのはその食事、北村は体を大きくするために奇行ともいえる食事を始める。
本人も「筋肉を大きくする為ならば何でもやった」と自負しているほど。
初期の段階では、家族と一緒にとる「普通の食事」以外に、卵を20-30個、牛乳を2-3リットル、さらに鯖の缶詰を3缶、加えてプロテインの粉末300gを毎日摂取した。また、このような食事を消化吸収するために、消化剤を大量に摂取した。さらに筋肉のサイズアップに効果があるとして、鶏肉をミキサーにかけペースト状にしたものを大量に摂取した。その結果、ボディビルを始めて僅か10か月で40kgの体重増加に成功する。
凄まじい執念が実り、わずか1年程で96kgまで増量、2年後の関東学生選手権を圧倒的実力で優勝。その後ボディビルにのめり込んだ北村は大学の授業に全く出席せず、最終的に東京大学を中退する。
後に北村は「東大の近くまでは行くんだけど、ある道を右に曲がれば東大で、まっすぐ行けば公園なのね。でも僕はまっすぐ行っちゃうの。公園でトレーニングしちゃうのね」と語っている。

「ボディビルダー時代」

高重量のダンベルで過酷なトレーニングに挑んだ結果、胸や腕の筋肉を断裂したこともあるが、それには怯まず、怪我が癒えるとすぐにトレーニングを再開した。また、ボディビルにおいては筋肉を目立たせるため、試合前の段階では皮下脂肪を減らすための減量を行うのが一般的とされているが、その減量をかなり過激な方法で行ったため、身体中の電解質が不足したり、低血糖症のために倒れ救急車で病院に搬送されたことが何度もある。

北村の経歴の中でも最も語り草となっているのが、1985年アジア選手権における凄まじい減量である。8月11日の実業団選手権に優勝した直後、急遽アジア選手権のオファーが入る。チャンスとばかりに二つ返事で了承したはいいが、あと4日しかなく、コンテスト直後で身体は疲弊しきっている状態であった。「この状態で出ても結果は知れているので、少し好きな物を食べて筋肉に張りを持たせよう」と考え、食べ始めたが最後、コンテスト直後の食欲は凄まじく、コントロールできないまま食べ続けた結果、わずか2日で85kgから98kgへ太ってしまう。
普通の人間は棄権するところだが、ここで彼は一か八かの賭けに出る。電車を乗り継いで山奥まで行き、そこから自宅までの100kmマラソンに挑戦する。途中で足の爪がはがれ、シューズの中が血でグショグショになるほど悲惨な有様だったが、幸か不幸か爪の痛みのお陰で覚醒し、気絶することなく計120kmを15時間かけて走り抜き、14kgの減量に成功。アジア選手権、ライトヘビー級のタイトルを手にする。

日本人ボディビルダーとしては前例がないほどのサイズを誇り、でかすぎるあまり現役時代はドーピングを疑われることもあった。
「グラップラー刃牙」の作者板垣恵介は筋肉の作画参考のため、実際にマッスル北村に筋肉を見せてもらていたという。


出典 YouTube

この動画を見ると北村さんの几帳面さと優しい性格が伝わってきます。

出典 YouTube

絶対にいい人ですね。

享年39歳という若さで亡くなる、死因は”餓死”

2000年8月3日、ボディビルの世界選手権に参加するべく脂肪を極限まで落とすために20kgの減量を行った結果、異常な低血糖状態となり、急性心不全を引き起こして亡くなった。亡くなる数日前にも倒れて救急車で運ばれており、この時は処置が間に合い助かっていた。身を心配した実妹が「めまいがしたらアメを舐めて。アメでいいから」と懇願するも、「僕はそんなカロリーすら摂取したくない」と断る徹底ぶりであった。が、この熱情が結果的に北村の命を奪った。死亡時の体脂肪率は3%を下回っていたと言われている。

普通の人間であればお腹が空けば本能的に食事をする、もちろん極限の飢餓状態であればその本能からの命令に逆らうことは到底できるわけがない。
しかし北村の執念はそれを遥かに凌駕していたのだ。
彼は「人間は何の為に生まれてきたのか。僕はまだ何をすべきかはわからないけど、生まれてきたからには、自分が見つけた目標に限界まで挑みたい」という観念を持っていた。
それゆえに様々な分野にチャレンジし常規を逸しているとも言える努力量で真剣に取り組んだ、それがマッスル北村という男なのだ。

出典 YouTube

これが人生をかけて作り上げた肉体!!すさまじいでかさです。

主なボディービル選手実績

1985年:IFBB ミスターアジア90kg以下級(ライトヘビー級)優勝
1990年:WABBA 世界選手権4位
1999年:WABBA 太平洋世界選手権 総合優勝
1999年:NPC トーナメント・オブ・チャンピオンズ(ヘビー級)3位

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