①「憎しみを抱くな」と言われても凡人には出来ませんよね。

いじめられたり、馬鹿にされたり、明らかに不当な扱いを受けたり、
仲間外れやいじめに有ったりすれば、相手を恨みたくなったり、
憎しみを持つのは当たり前ですよね。

人間は「憎しみを抱かない」という事は出来ません

②それでも「憎しみを持てば、その憎しみは自分の上に降りかかって来る」といわれると、

じゃあ、憎しみを持つのをやめますか、止められますか、
無理でしょう。やはり憎しみは消せない。それが人間だもの。

では、「自分に降りかかってきてもいいから、この憎しみは絶対に消さない」と決心しますか?
憎しみを抱いた時点で、相手の不幸や相手に対する仕返しを望んでいる訳ですから、自分も不幸になる=憎しみが自分の上に帰って来ることを受け入れ無いといけませんよね。

イスラム国のテロに対する憎しみがフランスやロシアや米国の報復爆撃になりましたよね。するとまた、イスラム国の自爆テロが繰り返されて、将に「憎しみは、それをいだいた人間の上にかえってくる。」の通りですよね。そして最終的には、皆が不幸になるという事ですね。

現代の地球上の人間が出来ることは、「目には目、憎しみには憎しみを」の程度です。
だから憎しみを持ちたいと思っても、持たないような努力をする。憎しみを持たないと、
ここまで将来、人間は成長出来るものなのでしょうか。

③自分の憎しみは神様にお預けしたらどうでしょう。

「神様、私は××に対して、このような憎しみを持っています。人間の私は××に対して憎しみによる懲らしめや、罰を与えることは出来ません。私の憎しみが正しいのであれば、貴方様が××に対し、罰をお与え下さい」とお願いするしかないのではありませんか。

この願いを神様がお聞き届けられるか否かは私にも分かりませんが、案外罰があたるという人が多いから聞き届けられるのかもしれませんよ。

④神仏に祈る内容は

人は合格祈願、必勝祈願、家内安全、商売繁盛、病気平癒等、すべて自分が幸せになることを神様にお願いしますが、神罰や仏罰という言葉があるくらいだから、「あの悪人に罰をお与え下さい」と他人の不幸を祈るのもありなのかもしれませんよね。

「他人の不幸を願うことは悪魔に魂を売ること」のイメージが強いけれど、そうでは無いと思います。
神罰も仏罰もそれを願う人々の願いが神罰や仏罰の形となったのですから、(つまり、誰も願わないのに神が勝手に神罰を与えることは無いのです。)「罰をお与え下さい」のお祈りは間違っていないと思われます。
但し、それが間違った不当なお願いであったら、逆に貴方が『倍の罰を受ける』という前提と覚悟での祈りですからね。

こういう段階を経て、人類は「憎しみ」を乗り越えることになるのでしょうか。

by薩摩わがまま親父

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