仏陀の教えは易しいから難しい。

出典 http://image.search.yahoo.co.jp

①これは仏陀の言葉だそうです。

意味は分かりますよね。
「他人の過ちを見つけるのは実に簡単なことだけど、自分の過ちや欠点を見つけるとなると、とても難しい」という意味ですから、言葉の意味は簡単に理解できます。

②難しい自分の過ちはどうすれば見つけられるのでしょうか?

そもそも自分の過ちを簡単に見つける方法はあるのでしょうか?
何故、仏陀は解答を示さなかったのでしょうか?
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お考え中、考えタイム中
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③その答は以外な所にありました。既に示されていました。

そうです、「他人に聞けばいい、他人に指摘して貰えば良い」でした。
だって、最初に「他人の誤りを見つけるのは簡単だ」と解答が書いてありますからネ、
他人には「貴方の過ち」は分かっているのです。あなたにも「他人の過ち」は分かっていますよね。
だったらお互いが相手の過ちを「指摘し合えばいい」という答になります。

他人どうしが「あなたの欠点はこれこれ」と指摘し合えば良いだけのことです。
これをやれば、難しいとされる「自分の過ちを見付けること」が簡単に出来るのです。

だから表題の格言の本当の意味は「自分の過ちや欠点、改めるべきことを他人に指摘してもらいなさい」という仏陀の教えであるとなりますよね。

④しかし、この簡単なことが我々凡人は出来ない。何故

凡人ゆえに、他人から「自分の欠点を指摘されること」を嫌がるからでしょうか。
変なプライドが邪魔をするからでしょうか。(以下プライド論は省略)

●貴方は他人から、「君の欠点はこれこれだ」と指摘された経験をお持ちですか?
●逆に「貴方の欠点はこれだ」と誰かの欠点を指摘したことがありますか?
おそらく4~50歳まで生きて来られた方々でも、この二つの経験はほとんどないのではありませんか?
この場合、指摘の対象者は自分の身内や家族は当然のこととして除きますよ、8割以上の人が指摘もしなかったし、されたこともないという答でしょう。それが凡人の証明です。
そういう方々は、凡人であると断言できます。勿論私もその凡人の一人です。

もし、他人から指摘を受けた経験があるなら、貴方は「見込みのある人間だ」と思われているという事です。貴方が他人の欠点を指摘したことがあるとすれば、貴方はその人に対して「愛情と見込みを感じている」という事です。

⑤仏陀は面白い人ですね。

「自分の過ちを見つけるのは難しい」とだけ言って、「他人に聞け」とは言わない。
それは、凡人は自ら頭を垂れて他人に教えを聞く勇気も、他人の過ちを指摘する勇気も愛情も持ち合わせていないと看破しているから。

仏陀はこの短い教えの中に4段階の人間を見ているのではないでしょうか。
●この教えの意味が分からない人が大部分・・・その人は字面通り「自分の過ちを見つけるのは難しい」とだけ理解するだけで十分。
●中には教えの意味が分かる人間もいるだろう・・・自分の過ちは「他人に指摘してもらえばいい」と分かる人間はいる。
●分かっても、その行動できる人間は更に少ない・・・分かってもほとんどの人間は「私の過ちを指摘して欲しい」という行動は出来ない。
●この行動が出来る人間こそが私の本当の弟子である・・仏道を学び広めることのできる人間である。
とこんなことをおっしゃりたいのでは?

⑥弟子たちへのメッセージ

「この世の中を構成しているのは、ほとんど凡人と呼ばれる人々である、その人達は仏道の教えを聞く勇気も聴く行動もしない人達だよ、仏道を広めようとする我が弟子たちよ、この事をよくよく肝に銘じ修行し、伝道に励みなさい。焦るな、怒るな、イラつくな、
くさるな、負けるな、諦めるな、」とおっしゃっているような気がしてなりません。

わがまま親父のたわごとです。「貴方はどう思われますか?」
明日が良い日でありますように。

by薩摩わがまま親父

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