人間誰しも、見た目にコンプレックスはあると思います。ですが、その見た目に関するコンプレックスが病的なもので、時に引きこもりになり、鬱病になってしまう病気を「身体醜形障害」と言います。「醜形恐怖症」とも言われるこの精神疾患は、人から見れば些細な事でも自分ではそれが気になって仕方なくなってしまう病気です。

きっかけは人それぞれです。また、症状の重さも様々ではありますが、そのコンプレックスのせいで生活に支障が出てしまい、まともに社会生活すら送れなくなってしまう人もいます。

ごく普通の小学生だった私が身体醜形障害を患った結果、摂食障害も併発し、すべてを克服するまでには9年間もの時を要しました。


「痩せなきゃ」そう、思い始めた13歳の春

私は小学校六年生までは明るい子どもでした。身長158cmで39kgというかなり細身の体型で、友人やその親御さんから、スタイルを褒められる事が日常でした。また、それを私は少し喜んで、誇っていた部分もありました。

丁度、中学校に上がるタイミング・・・13歳頃というのは、今、成人してみればわかるのですが時期的に女の子はみんなふっくらとするもので


大人は子どもと大人の境目の「まだ子どもより」な子ども達に、何の気無しに「あれ、ちょっと太ったね」と無遠慮に言葉をかけたりするのだと思います。

ずっと細身だった私にも、その時期がやってきました。「あれ?ちょっと太った?」何人かにそう言われた時、私は生まれて初めて「太っている」という言葉を自分に向けられ、ひどく落ち込みました。

そして、祖母から言われたある言葉がフラッシュバックしてきたのです「あんたは不細工だから、ちゃんと勉強して一人で良い暮らし出来る様にならないと。どうせ結婚できないからね。本当は孫はべっぴんが良かったんだけど。」

4歳だった幼い私は、あまりにも残酷なその言葉には無意識のうちに蓋をしていました。ですが「太った」と初めて容姿を否定された言葉によりこじ開けられた記憶は、徐々に私の脳を蝕んで行きました「痩せなきゃ」「私はブスだから頑張らなきゃ」と。

「痩せなきゃ認められない」そう思い始めた

中学に入ると「彼氏、彼女」の存在がリアルになります。その年頃の私たちは「○○君と△△さんは付き合っていて○○君から告白したんだって!」なんてスキャンダラスな話で浮き足立つ様になり、徐々に「男、女」を自覚し始めます。

人間が容姿で優位に立ったり時に見下されたりするのだと、最初に自覚するのが一般的にはこの時期ではないか、と思います。

そんな中、吹奏楽部に入部した私は、ひたすら焦っていました。学区の端に住んでいた私は、友人とも離れ、あまりなじみの無い子達がいるクラスで「可愛い、モテる、痩せている」という評価を受けなければ存在価値を失ってしまう、という強迫観念にとらわれていました。祖母の言葉の呪縛が私を襲っていたのです。

当時、お世辞にも「細い」と言われる体型ではなかった私ですが、それでも入学当時は160cm/51kgというごく標準範囲内の体型でした。それでも身長が伸びているとはいえ、最後に体重を計った時より10kg以上も太っていた私は動揺しました。焦りを感じ、その、身体測定の日から私のダイエット生活はスタートしたのです。13歳、ダイエットを意識するには早すぎる歳でした。

部活中、何度も倒れた過酷ダイエット生活

まず、朝ご飯はスープのみ。毎朝、飼い犬の散歩と同時に3kmのランニングをし、給食は白米を全て残し、肉類を避け、デザート類も友人にあげていました。

帰宅してからは親に心配されるので普通にご飯を食べていましたが、こっそり吐いていた日もあります。

私はみるみるのうちに47kgまで痩せました。入学当初より痩せた私は、やはり自信がつくのですが、全国区で勝負をしている過酷な吹奏楽部では体力が追いつかず、しょっちゅう貧血で倒れていました。生理が止まる事も多々ありました。

見かねた母に叱られ、私は食事を戻さざるを得なくなり、また49kgまでリバウンドしてしまいます。太っている私に価値はないのに、どうして痩せさせてくれないのかと毎日悔しくて泣いていました。

心の安定は「痩せる事」だった

中学二年生になると、元々不仲だった両親が喧嘩すらしなくなり、母が家に帰らない日が続きました。私は母の帰りが遅い日は夕飯を作って待っていたりもしたのですが「私は夕食を買って来たのにお前は余計な事をして!」と叱られ、料理を捨てられて以来「食事」そのものに恐怖心を抱く様になりました。

部活では、先輩に言いがかりをつけられ、部活の人たちから無視され、ストレスの末胃潰瘍になりコンクール直前に休部してしまいました。急にコンクール前に抜けてしまった罪悪感は勿論ありましたが、部内では「裏切り者」扱いされ、通りすがりに先輩に舌打ちされる事もありました。

そんな日々のストレスを紛らわすため、私は「食べない」という選択肢を選ぶ様になりました。三日に一度、わずかなおかゆしか口にしない日々が続き、中学二年生の秋には163cm/46kgまで体重が落ちていました。それがとても嬉しかったし、私に理不尽な事をしている先輩達より痩せている、というのが心の拠り所だったように思います。

でも、そんな無理が祟り、ついに母から「そんな想いをしてまで学校に行かなくていい」と言われました。その時は、反抗する体力も残っていない程衰弱していた私は今となっては一体どこまで痩せていたのかわかりません。

そうして、私は、中学二年生の冬から不登校になりました。そして、やせ細った自分の顔を鏡で改めて見つめたのです。すると、そこにはとても醜い姿の自分が写っていました。

そこが身体醜形障害の自覚を持った最初の出来事でした。

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