解決しておきたい痛み

 昨晩から痛み出した歯肉炎の激しさは夜も眠れなかった。なぜ自分だけがこれほどの死ぬ思いに駆られなければならないのだろう?これほどの痛みとは本当に誰もが経験するものだろうか?これが誰もが本当と思えたなら、少しでも心強くまだ生きているという活力をすぐに取り戻せるだろう。
 
  しかしながら、このような死を目前にしたかのような激しい痛みを私は過去に何度か不思議に経験している。そしてその都度に自分は不死身ではないかと思うほど急激に何事もなかったかのように、その都度回復している。ただ現代の医療技術に計り知れない神業を思うばかりだが、今朝も明けるなり近所の歯科医に予約を繰り上げてもらい治療に治療に行ってきた。
 
 元々歯医者は好きではないが、いつものようにノコギリやトンカチでバイパス手術を応急にされているようで、まるで土木工事で護岸ブロックを削って取りつけているような迫力である。
しかし、終わってしまえば、なんてことないし、これほどの痛みの後の回復の清々しさは何事にも言い表せないほどの幸せ。生きていてよかった。
 
 又何かを発見できた。歯医者には実にかつての同級生が以外にもなぜか多い。歯医者はまちづくりだ!・・そんな発見をできたのも、久しぶりの激痛のおかげ。

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私は、まちづくりをもし専業にできたら素敵だと思っています。
世の中には、国造り、会社づくり、モノづくり、人づくり、お金づくり・・・さまざまな「つくり」がありますね。
その中でも、まちづくりとはわざわざ心掛けて作ろうとしなくとも、放っておけば出来上がるかのような最も漠然と掴みどころのないものに思えます。
しかし今あちこちで、何かとまちづくりが大切であると、なぜ呼びかけが始まりだしているのでしょう?
 
私は、まちづくりの動機の動機と言えば、ただのきっかけだけがカギを握っていると思います。
そして、まちづくりとは案外、国造りよりもっと大きな心がけを必要とするのではないかとも思えています。
それは、誰もが最も身近に感じ得る共通の課題意識であることである共に、一体まちづくりをどうすべきであるかは誰にも直接にはその責任や方法を知り難いことだからだと思います。
いわゆる、自分に直接降り掛からなければどうでも良いことこそが一番複雑で難しい問題であると言えるでしょうね。
ですから、その何か偶然のきっかけが必要なのです。
そのきっかけについて、関心がある人たちで話し合い、実行していけることが本業にすることができれば、私はきっと最高の喜びに違いないと思っています。

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