11月22日(日)は、「いい夫婦の日」だそうです。

私たちは2000年に結婚しましたが、結婚するとき夫が言った言葉。
「命をかけて愛します。」

なんか大げさみたいだけど、結婚するときの意気込みとしてはやっぱり嬉しかったことを思い出します。

でも私は思いました。
「そんなムダな、もったいないことはして欲しくないな、まじで・・・。」

夫の言葉に、嘘偽りは感じられませんでした。
「なんか、この人は本気みたいだ・・・(^^;)」

そう思い、私も神妙な気持ちになったことを思い出します。

結婚して夫が牧師になってからは、こう思うようになりました。
「この人は、私のためじゃなく、誰か他の人のために死ぬんじゃないかな」と。

結婚生活が始まると、夫の性格がよく分かってきて、あ、これは事件に巻き込まれて死んじゃうとか、電車にひかれそうな人を助けようとして自分が飛び込むタイプだな、と思いました。

というのも、イエス・キリストの愛を知り、いつも祈り、模範に従いたいと願っている夫なので、牧師としての働きの中で、家庭の中での夫として、父として、もし誰かを守らなければならない場面があれば、「良い牧者は羊のために命を捨てる」という言葉を実践しようとするんじゃないかなと思うのです。

夫はそういう人なんだと思っています。そういう夫と結婚できたことは、私にとって本当に幸せなことです。夫を通しても、神の愛の深さを知ることが出来るからです。

結婚して15年、いろいろありましたが、変わらずに夫は妻である私を大事にしてくれて、その愛を現そうとしてくれていることに感謝しています。

また、それぞれの両親が「いい夫婦像」を与えてくれたことで、今の私たちがあると感じ、それぞれの両親にも感謝しています。

夫婦それぞれの重要ポイント

「愛されている」「大切にされている」と感じ、満足するポイントは人それぞれのようですが、私の場合は「プレゼントをもらう」ということ以上に、「手伝ってくれる」事に非常に満足感を得るタイプのようです。

それが分かっているのか、夫はいつの頃からか、夕食の後片付けを自分からするようになりました。

夕食を作った後は、大概疲れてしまうので、毎日お皿から鍋フライパンに至るまでを洗ってくれていることは、とても助かっています。

また、今年に入ってから、「安息日(私たちの教会では日曜日)は、妻にとっても安息日であるべきだ。」と言いだし、日曜の夕食を作ってくれるようになりました。

日曜日の夜は、牧師にとっては最も疲れを覚える時間ですが、それでも同じく疲れているであろう私のことを思い、わざわざ日曜の夜に設定して夕食を作ってくれるようになりました。

出典photo;牧師の妻

昨年まで「親子丼」しか作れなかった夫が・・・

出典photo;牧師の妻

牛丼とか作ってくれるようになり・・・

出典photo;牧師の妻

「クックパッド」見ながら「オムライス」を作ったり・・・

出典photo;牧師の妻

子どもが喜ぶハンバーグも。

出典photo;牧師の妻

「盛りつけも上手になったねえ。」と言ったら、和風のおかずも作れるように・・・。

「褒めたら伸びる」のは、どうやら子どもだけではないようです。

こうして多くの犠牲を払って「妻への愛を現す」ことに注力している夫に対し、私もまた「これは夫に従い、夫を立てていかないといけないな。」と思わされ、それが嫌々ながらではなく、喜んで進んでしようと思うことができるのです。

夫の「結婚や家庭での重要ポイント」

私が「お手伝いをしてくれる」事が重要ポイントであるように、夫にも「これは」と考える重要ポイントがあるようです。

ひとつは「平和であること」。

夫はもともと争いなどを好まない人で、子どもの頃、毎日お隣の家から聞こえてきた怒鳴り合いの夫婦げんかの声を聞きながら「僕は、ああいう人を絶対にお嫁さんにはしない。」と言っていたそうです。

だから好きな音楽をかける主導権は夫にし、私が言いたいことがあるときは言うタイミングと言葉を選び、夫が平安な心で過ごせるようにと出来るだけ配慮するようにします。


もう一つは「聞いて欲しい」。

私は夫が話したいときは出来るだけ聞き役に徹し、満足できるまで聞くようにします。

たまにめんどくさい時もあるのですが、そこは「夫の重要ポイントだから^^;」と聞くようにします。

すると、たくさんしゃべった夫は満足して、「ご静聴ありがとうございました!」と言って、また説教準備などに戻っていきます。

それぞれに弱さや欠点もあり、「二人とも掃除・片付けが苦手」という致命的な短所を持つ私たち夫婦ですが、「円滑な夫婦についての重要なポイント」は、そう多くはないように思えてきました。

この「重要ポイント」を外してしまうと、いくら頑張って相手に尽くしているつもりでも、相手への思いがなかなか伝わらないことになってしまいます。

「手伝って欲しい」と願っているのにプレゼントをあげたり、「聞いて欲しい」と願っているのに別のことをしても、相手の満足感が低いままの結果で終わってしまうかもしれません。

聖書が教える夫婦とは?

結婚式などでよく読まれる聖書の箇所に、「夫に対する聖書の教え」「妻に対する聖書の教え」があります。

要約すると、「夫は妻を愛しなさい」、「妻は夫に従いなさい」というものです。(参照:エペソ人への手紙5章22~33節)

私たちも夫婦について考えるとき、まさに聖書が示していることは本当だな、といつも思わされています。

男性は、「自分の言うことを聞いてもらえると満足する。」「妻が喜んで夫に従い、夫を立て敬うとき夫は満足する」。

女性は「愛されていると実感できると満足する。」

「愛する」とは、言葉だけの抽象的なものではなく、実際に行動を持って「大切にすること」だと考えています。

特に、夫に対する聖書の勧めは「夫たちよ。キリストが教会を愛し、教会のためにご自身をささげられたように、あなたがたも、自分の妻を愛しなさい。」というものです。

本当の意味で「自分の妻を愛する」ことを可能とさせるのは、十字架で命を捨てるほど愛したキリストの愛を知ることなしには到底、出来ないことです。

聖書の言葉 エペソ人への手紙5章22~33節

妻たちよ。あなたがたは、主に従うように、自分の夫に従いなさい。
なぜなら、キリストは教会のかしらであって、ご自身がそのからだの救い主であられるように、夫は妻のかしらであるからです。教会がキリストに従うように、妻も、すべてのことにおいて、夫に従うべきです。
夫たちよ。キリストが教会を愛し、教会のためにご自身をささげられたように、あなたがたも、自分の妻を愛しなさい。
キリストがそうされたのは、みことばにより、水の洗いをもって、教会をきよめて聖なるものとするためであり、ご自身で、しみや、しわや、そのようなものの何一つない、聖く傷のないものとなった栄光の教会を、ご自分の前に立たせるためです。
そのように、夫も自分の妻を自分のからだのように愛さなければなりません。自分の妻を愛する者は自分を愛しているのです。
だれも自分の身を憎んだ者はいません。かえって、これを養い育てます。
それはキリストが教会をそうされたのと同じです。
私たちはキリストのからだの部分だからです。
「それゆえ、人はその父と母を離れ、妻と結ばれ、ふたりは一心同体となる。」この奥義は偉大です。
私は、キリストと教会とをさして言っているのです。
それはそうとして、あなたがたも、おのおの自分の妻を自分と同様に愛しなさい。妻もまた自分の夫を敬いなさい。

出典新約聖書エペソ人への手紙5章22~33節(新改訳)

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