仏様と聖人

 仏様の種類もさまざまですので、それらをお経では諸仏といっています。
また、実際のお寺の住職さんとはまた別な存在として聖人という仏教家もさまざまに居ます。
 その聖人ですが、同じ日本の鎌倉時代の同時期に存在された親鸞聖人と日蓮聖人は特に有名ですね。
 ところで、聖人とは一体、どういう立場なのかは非常にわかりにくいと思いますけど、簡単に言えば、仏教誘導のプロバイダーだと思えば良いと思います。
 つまり、そのプロバイダーに対し主要な仏様とはNTTなどの開発大手だと思えば良いのです。

聖人とはプロバイダー

 ところで、プロバインダー選びとして親鸞聖人と日蓮聖人とを比較してみるのが正しいことなのかどうかはわかりませんが、迷っていてもしょうがありませんからお教えします。
 プロバインダーにも種類や考え方の違いが各々にありますが、親鸞聖人は阿弥陀仏の「阿弥陀経」を、そして日蓮聖人は釈迦仏の「法華経」を主要な重要なマニュアルとして用いて人々に説法してきたのです。
 そして、その両者は各々のそのマニュアルを配布し、人々にそのマニュアル則ち、経典内容を直接教え込むのではなく、プロバイダーである各々の聖人が代表となって、心掛けて勉強してマスターしたのです。

南無阿弥陀仏と南無妙法蓮華経

 つまり、皆さんもご存知のように、経典を配布された人々は、親鸞聖人に対しては「南無阿弥陀仏」、日蓮聖人には「南無妙法蓮華経」とさえ一生賢明に祈れば、お経の内容そのものは解からなくとも自然に内容通りに必ずなると説かれたのでした。
 つまり、恐らくそういう時代だったのでしょうね。

 私は今の時代は、すでに優秀な両聖人の説かれたお経がそのまま実っている時期だと思うのですが・・・

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私は、まちづくりをもし専業にできたら素敵だと思っています。
世の中には、国造り、会社づくり、モノづくり、人づくり、お金づくり・・・さまざまな「つくり」がありますね。
その中でも、まちづくりとはわざわざ心掛けて作ろうとしなくとも、放っておけば出来上がるかのような最も漠然と掴みどころのないものに思えます。
しかし今あちこちで、何かとまちづくりが大切であると、なぜ呼びかけが始まりだしているのでしょう?
 
私は、まちづくりの動機の動機と言えば、ただのきっかけだけがカギを握っていると思います。
そして、まちづくりとは案外、国造りよりもっと大きな心がけを必要とするのではないかとも思えています。
それは、誰もが最も身近に感じ得る共通の課題意識であることである共に、一体まちづくりをどうすべきであるかは誰にも直接にはその責任や方法を知り難いことだからだと思います。
いわゆる、自分に直接降り掛からなければどうでも良いことこそが一番複雑で難しい問題であると言えるでしょうね。
ですから、その何か偶然のきっかけが必要なのです。
そのきっかけについて、関心がある人たちで話し合い、実行していけることが本業にすることができれば、私はきっと最高の喜びに違いないと思っています。

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