地方創生は活かされるのか?

中央の国会は何の為にある?、国にとって地方は何の為にある?
そういった、ごく素朴な疑問から入らねばならない。

何に於ても興味関心ごとは地方が国を揺り動かす力だ。そして、国を動かすということは中央から地方を動かすことではない、逆に地方から国を動かすことである。
地方の国民にとって、中央とは憧れの都であり、刺激的な変化の源である。これは長く不変なテーマなのであるが、この逆は有り得ないのが国が自然と存在する概念なのである。
しかし、この概念が当てはまらない大きな動きがある。それは宗教なのであり、宗教と国とは切っても切れない密接な関係にあることは決して免れないのである。

国の得策と宗教による国づくり

私たちの暮らして行くこの世の中は何で成り立っているか?と言えば、大きく単純に割り切って考えれば、「ヒト」と「モノ」だけで成り立っている。
ヒトにはあらゆる生物を大まかにも誘導支配していく力が存在しているため、生物の代表リーダー格とも言えるだろう。また、モノにはその流通にとって重要なお金も含まれるだろうし、モノとして地球という物体を本籍に私たちは日常の暮らしを成り立たせているのだ。

そのように、ヒトとモノとは重要密接な関係概念にあるのは言うまでもないが、これは宗教と国の関係にもなぞらえれるのだ。
すなわち、ヒトが宗教、モノが国と大雑把に定義してみたら、モノの流通をひとまとめに集約する役割は国にあり、そのまとめられたモノにすがるのが国民たるヒト、すなわち宗教なのである。

宗教が、中央集約された国に対し、何かを働きかけ、その国を動かす力がモノの動きへと変化して行く。つまり、流れの方向としては、ヒトが中央のモノへと進出し、モノは集約され、地方のヒトへと配分されていくといった、お互い交差する流れを示しているのである。

カネの討論と宗教の無意味

カネを用いるのはヒトであり、用いられるのはモノなのである。
単純に考えて、全国のモノとカネの流通調整を図っているのが国会審議であろう。
つまり、ヒトや宗教の実態調査はそれほど国会での審議対象とはならないと考えて良いだろう。それはヒトが各地方から中央への動きを示していれば、それがすでに結果の答えとなっているからだ。そして国会は中央から分配されたモノの動きが各地方に於てどのような変化影響を示しているかを評価観測していればよいのである。

よって、ヒトとヒトとの調整は宗教、つまり地方にある。だからと言って、中央には宗教がないのかということではないが、中央とはその国の宗教の支配者ポストであって、それが国会のポストではないだけなのだ。
そのように、ヒトとしての宗教の実践活動の場は必ず各地方の区域にあるのである。

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私は、まちづくりをもし専業にできたら素敵だと思っています。
世の中には、国造り、会社づくり、モノづくり、人づくり、お金づくり・・・さまざまな「つくり」がありますね。
その中でも、まちづくりとはわざわざ心掛けて作ろうとしなくとも、放っておけば出来上がるかのような最も漠然と掴みどころのないものに思えます。
しかし今あちこちで、何かとまちづくりが大切であると、なぜ呼びかけが始まりだしているのでしょう?
 
私は、まちづくりの動機の動機と言えば、ただのきっかけだけがカギを握っていると思います。
そして、まちづくりとは案外、国造りよりもっと大きな心がけを必要とするのではないかとも思えています。
それは、誰もが最も身近に感じ得る共通の課題意識であることである共に、一体まちづくりをどうすべきであるかは誰にも直接にはその責任や方法を知り難いことだからだと思います。
いわゆる、自分に直接降り掛からなければどうでも良いことこそが一番複雑で難しい問題であると言えるでしょうね。
ですから、その何か偶然のきっかけが必要なのです。
そのきっかけについて、関心がある人たちで話し合い、実行していけることが本業にすることができれば、私はきっと最高の喜びに違いないと思っています。

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