赦しはなたのもとにあり  人はあなたを畏れ敬うのです。詩編130:4(11/1の週の聖句)
助言が多すぎて、お前は弱ってしまった。イザヤ47:13
... イエスは弟子たちに、 「途中で何を議論していたのか」とお尋ねになった。  彼らは黙っていた。   途中でだれが一番偉いかと議論し合っていたからである。マルコ9:33〜34      (ローズンゲン日々の聖句11/1;日)  天の神、主が、心を一つにしておられるように、この方と心を一つにしていく者(創世記1:26)は、天の神、主が、一人一人を大事に思っておられるその思いを受けて、お互いを尊重し、相手の思いのなることを願っていくのだそうです。が、「神の一人のようになり、善悪を知る者となった」(創世記3:22)者は、自分の理性を最高のものとし、その判断に他を従わせようとするのだそうです。それで、自分が他よりもすぐれた者でなければ満足しないのですね。イエスの弟子においてすら、常に、誰がいちばん偉いかが心にあったようです。  神の一人のようになろうとしても、人間は全知でも全能でも、永遠不変でもないことを実感するので、その自分の足りなさを補うために神々を作りだしてしまうようです。そして、天を観測する者、星を見る者、これから起こる出来事を知らせる者、災いを払いのけるまじないや呪文を唱える者に頼り、助言を求めるのだそうです。  私という、生まれたときからの霊は、「神の一人のようになろうとし、善悪を知る者」になってしまっていることを認めて、その私たちのそむきの罪の罰を、一身に受けて十字架刑で処刑されて下さったイエス、墓に葬られ、三日目に復活され、天の父である神と呼ばれる方の右の座に帰られたイエスが、私たちに派遣してくださる「聖である霊」と呼ばれる方をお迎えするなら、この方によって、「父である神」と呼ばれる方の、私たち一人一人への御思いを心に書き付けていただいて、「父である神」と思いを一つにし、行動を一つにしながら生きることができるのだそうですね。  私たちも、天の神、主の赦しをいただいて、この方と心を一つにし、思いを一つにしながら生きることができるのだそうです。この新しい週も。[にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ] <ahref="http://www.blogmura.com/point/00697809.html" ><imgsrc="http://blogparts.blogmura.com/parts_image/user/pv00697809.gif"alt="PVアクセスランキング にほんブログ村"/></a>[269RANKのランキングサイト]"哲学・思想 ブログランキングへ"

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佐知男 このユーザーの他の記事を見る

愛媛県久万高原町の産。仏教大学(社会福祉)、JTJ宣教神学校卒。キリスト教プロテスタントの教会員。

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