松陰神社&松下村塾

出典筆者撮影

吉田松陰とは?

天保元年(1830)萩藩士杉百合之助の次男として長門国の萩城東郊に位置する松本村(現山口県萩市椿東の一部)に誕生。幼名は寅之助。

兵学師範となるために、百合之助の末弟の玉木文之進による苛烈なまでの教育を受け、10歳の時から藩校明倫館に出仕し、11歳の時、藩主毛利敬親の前で「武教全書」の講義を行い、藩主を感動させる程の秀才ぶりでした。19歳で独立の師範となり、引き続いて22歳まで明倫館で山鹿流兵学を教授しました。

松陰は身分や階級にとらわれず塾生として受け入れ、
わずか1年余りの間でしたが、久坂玄瑞、高杉晋作、伊藤博文、山県有朋、山田顕義、品川弥二郎など、明治維新の原動力となり、明治新政府に活躍した多くの逸材を育てたことで有名です。

出典筆者撮影

ずっと行ってみたかった「松下村塾」

安政2年(1855)12月、獄を出て杉家宅で幽閉された吉田松陰は、
家族などを相手に、獄内に引き続いて『孟子』の講義をはじめます。
これに近隣の子弟が大勢参加するようになると、杉家の庭先の小屋を改装し、
塾舎としました。

これが現在も松陰神社境内に保存される松下村塾です。

出典筆者撮影

木造瓦葺き平屋建ての50㎡ほどの小舎で、当初からあった8畳の一室と、後に吉田松陰が増築した4畳半一室、3畳二室、土間一坪、中二階付きの部分から成っています。

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講義室だった8畳の部屋には松陰の石膏像と肖像画、机が置いてありました。

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東側にある3畳半の一室。
ここに、野山獄を出て、自宅に幽囚の身となった吉田松陰が幽閉されていました。

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まさに明治維新胎動の地でした!!

神社へ行き、運試しに「おみくじ」を引いてみると・・・

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出ました!!
大吉~!!

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