下りて来れば何でも如来

経済とお経はとても素晴らしくマッチしているのは良く知ってますか?
と言っても、どう考えても関係のないように思える経済とお経の関係ですが、その両者に共通しているものはなんでしょうね。
それは恐らく孤独と集団を意味するものではないでしょうか。

経済というものはとにかく儲け話の世界ですから、その取引や駆け引きは皆が仲の良いフレンドシップばかりとも限らないようです。時にはお互いの言い分の強さも経済の特徴となってきますね。かと言って、威張って強がりばかりだったら、どんな良い商品を扱っていても顧客は呆れて逃げていってしまうかもしれません。

そのように考えると、やはり経済とお経は実に似ているはずなのです。
ところで、お経に出て来る如来さまとは、とても鬼のような出で立ちで怒って威張っているようなイメージなのですが、私たちの住む眼線まで下りて来てくれる仏様のことです。

上手くいく代理人と上手くいかない代理人

ところで経済には代理販売やら代行輸送など、依頼人の代わりになって働くシステムが大きな円滑な動きを作り出していますね。
そのように契約上、代わりに何かする役割の人を代理人、或いは代理者などと言いますよね。
実にこの役割の人をプロというわけですが、この仕組みは、ただ多くの商品やサービスを抱えた人がたった一人では何もできないから、多くの代わりの役割を他の得意な人へ依頼するわけです。
ですから、頼まれた代理人は商品やサービスをそのまま自分の力で直接売ったり運んだりもするわけですが、それだけでなく依頼人の信用や信頼もそのまま役割っているのです。

このように経済社会の中ではそのほとんど多くの働く人々は皆、何らかの代理の仕事をしているということになりますよね。
そこで、上手く働いて稼ぎ続けていける人もいれば、そう上手くはいかない人もいるわけですが、その違いは、代理する本人の実力と共に、大切なのは依頼人の信用・信頼をそのまま伝えれる能力であるようです。

如来は信用・信頼をそのまま伝える能力

どのようすれば、依頼元の信用や信頼性を変化させずに伝えていく能力を持つことができるでしょう?
それはちょっと考えても思い付けないことかもしれませんが、その条件として、依頼を受ける人にとって、依頼をする元の人が何を依頼したいかをその内容に関しとても詳しい知識を持っている必要があるのです。

つまり、代理人としての依頼人との良好な関係を保持するためには、依頼を受ける物件内容に関して代理人自身の知識より上手に進んでいる依頼人を得ることが絶対の条件ということなのです。
なお、ここで大事なことは、この依頼人・代理人の関係は必ずしも売り手側だけの関係のみならず、消費者が依頼人になる場合も全く同じ理屈だということを忘れてはならないということです。

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私は、まちづくりをもし専業にできたら素敵だと思っています。
世の中には、国造り、会社づくり、モノづくり、人づくり、お金づくり・・・さまざまな「つくり」がありますね。
その中でも、まちづくりとはわざわざ心掛けて作ろうとしなくとも、放っておけば出来上がるかのような最も漠然と掴みどころのないものに思えます。
しかし今あちこちで、何かとまちづくりが大切であると、なぜ呼びかけが始まりだしているのでしょう?
 
私は、まちづくりの動機の動機と言えば、ただのきっかけだけがカギを握っていると思います。
そして、まちづくりとは案外、国造りよりもっと大きな心がけを必要とするのではないかとも思えています。
それは、誰もが最も身近に感じ得る共通の課題意識であることである共に、一体まちづくりをどうすべきであるかは誰にも直接にはその責任や方法を知り難いことだからだと思います。
いわゆる、自分に直接降り掛からなければどうでも良いことこそが一番複雑で難しい問題であると言えるでしょうね。
ですから、その何か偶然のきっかけが必要なのです。
そのきっかけについて、関心がある人たちで話し合い、実行していけることが本業にすることができれば、私はきっと最高の喜びに違いないと思っています。

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