薬王菩薩品第二十三

因縁というものは恐ろしくもあり、また不可思議な可笑しさでもあるようですね。
このように何となくそそっかしさを感じさせる、今の薬王菩薩の前身の一切衆生喜見菩薩ですが、なぜ身を燃やして捨て去るようなことまでに至ったのでしょう?
 
私たちは日ごろ、何気なく過ごしているようであっても、様々な奇怪な事件や悲しい事故などのニュースを知らされながら一生涯を過ごしています。
そういった私たちが自然に日常知る限りのあらゆる他人と思える出来事は何等かそれを知る私たち各々にとって、過去世に関係したかつての因縁が現世に現れているのかもしれないのです。
   
ですから、あらゆる知ることが他人事ではなく、今、インターネットやTVを通じて世界中に知らされる出来事が同時に多くの誰にも伝えられているというこの現実は、何を物語っているのかを先ずは知る必要があるでしょう。
それはその無量の情報の中から、どうしても自分に関係した情報をすぐにも感付いて探し出さなければならなくなった現代への警笛なのかもしれません。   
 
つまり、かつての私たちが過去のことにあまりに無関心すぎたためかもしれませんし、また、有ること無いことの偽装な話が流行りすぎたためかもしれません。
 
ところで、薬王菩薩の前世の姿の一切衆生喜見菩薩の話に皆さんは歓喜や隨喜ができましたか?
もし、素直にそれができた方なら、この法華経を自分で修行していける人だと思います。
自分で、と言うことは佛に救済の負担をさせず、逆に佛を安樂させる供養ができるということです。
                                        
ところで、今の世の中は無量の情報が氾濫しているといいましたが、この無量な情報を泳ぎ渡ることが無量義なのかもしれませんね。
世の中は自分だけにふさわしい情報を得たいと誰もが考えますが、各々がただ自分だけにと思っていたら、その一人一人の相に従ったあらゆる多種多様に工夫された方便説法を作りだす佛のほうもいちいち大変です。
                                            
だからふさわしい一人一人に情報がしっかり行き届きにくく、津波のような氾濫の中に漂っているだけなのです。
それが当たるも八卦な神様の主なる支配下のこの世界なのです。
ですから、その神様と有力な信頼関係を築ける者だけが大きな徳を得れるのがこの世の中の現実というものですね。
                                     
よって、是非とも、そのためには佛の智慧、つまり真実の神へのガイドブック或いはガイドラインやガイダンスが必需だということでしょう。
   
⇒ 第7-23日-所愛の身を捨てにき-薬王菩薩本事品第二十三-三十五-四十一行/

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私は、まちづくりをもし専業にできたら素敵だと思っています。
世の中には、国造り、会社づくり、モノづくり、人づくり、お金づくり・・・さまざまな「つくり」がありますね。
その中でも、まちづくりとはわざわざ心掛けて作ろうとしなくとも、放っておけば出来上がるかのような最も漠然と掴みどころのないものに思えます。
しかし今あちこちで、何かとまちづくりが大切であると、なぜ呼びかけが始まりだしているのでしょう?
 
私は、まちづくりの動機の動機と言えば、ただのきっかけだけがカギを握っていると思います。
そして、まちづくりとは案外、国造りよりもっと大きな心がけを必要とするのではないかとも思えています。
それは、誰もが最も身近に感じ得る共通の課題意識であることである共に、一体まちづくりをどうすべきであるかは誰にも直接にはその責任や方法を知り難いことだからだと思います。
いわゆる、自分に直接降り掛からなければどうでも良いことこそが一番複雑で難しい問題であると言えるでしょうね。
ですから、その何か偶然のきっかけが必要なのです。
そのきっかけについて、関心がある人たちで話し合い、実行していけることが本業にすることができれば、私はきっと最高の喜びに違いないと思っています。

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