この10月の週末に、運動会が行われたところも多かったのではないでしょうか。
普段、家では見ない我が子の頑張っている姿に、感動した親も多かったでしょう。

我が家の長男もクラス対抗のリレーに参加しました。人一倍、負けず嫌いな長男。運動会当日のリレーでは、ちょっと前を走った子が他のチームの子に抜かされてしまい、それまで勝っていた自分のチームのために、なんとか抜き返そうと頑張ったものの差を詰めることはできず、チームはそのまま負けました。

アンカーの一つ前を走った長男は、責任を感じたのか、単純に悔しかったのでしょうか。走り終わった後、一人園庭で大泣き。園庭の真ん中で待機しているので、どう見ても周りからは丸見えなのに、その泣いている様子を必死に隠そうとしてました。

その後、ママにだけ「悔しくて泣いちゃった」と、さもトップシークレットかのような告白。「いや、みんな見てて知ってるから」と側で聞き耳を立てつつも、大きく成長したな…と感じたりもしました。

■バラバラの運動会

長男の通っている幼稚園は、あまり、というかほとんど運動会の練習をしないようで、どちらかというと、「ありのまま」で運動会に臨みます。ですから、もちろんいろいろグダグダです。

でも、それなりにみんな一生懸命だし、それなりに、というかむしろ立派に演技したり、走ったりしています。

そういう意味では、昔ながらの幼稚園生らしい、ほのぼの(本人たちは、いたって本気)して、何より子どもたちの「個性が丸出し」のいい運動会でした。

■子どもは欠陥品?

でも、小学校の運動会になると状況は一変しますよね。みんな、きちんと整列して列をなして、走っていきます。演技も見事に揃っています。

しかし、こうした運動会を見ていて思い出したことがありました。

それは、『学習する学校』という本に書かれた一節です。世界で200万部以上を売り上げ、過去75年で最も影響力のある経営書の一つ、と言われているMITの講師でもあるピーター・M・センゲという人が書いた本です。

その本の中では、学校はその成り立ち上、「標準化」という概念を重視するように作られており、『そもそも「欠陥品」である子どもを、標準化させるための組織である』、というものです。

本書には以下のように書かれています。

<19世紀半ばの教育者が自分なりの新しい教育の形を考えるにあたって、こうした工場主たちがやっていたやり方をこぞって借用しようとしたのも驚くにあたらない。その結果、組み立て作業ラインのイメージに沿ってつくられた、産業化時代の学校制度、つまりブームとして沸き起こった産業化時代の象徴的存在ともいえる学校制度が生まれた。>

出典学習する学校(2014) ピーター・M・センゲ 英治出版

こうした問題は世界的な課題なのです。

一般的な幼稚園や保育園のグダグダな運動会の感じと、小学校以降の学校の運動会の差が、歴然としているのは、こうした訳があるのかな、と思ったりもしました。

いわゆる運動会が、世界でも日本独特のものだというのも興味深い事実です。

長男と同じ幼稚園にいるイタリア人パパが、運動会のことを「日本には、あんなファシスト的な習わしがあるのは信じられない!軍隊みたいじゃないか!」と怒っていたのに、運動会で子どもたちが生き生きと楽しでいる姿を見た後、園長先生に「スバラシカッタデス!マーベラス!グラッチェ!」(ちょっと誇張あり)と言っていたのが、個人的には一番ウケました。笑。

まあ、それだけグダグダ(=個性豊かな)な運動会だった、ということでしょう。

リレーで泣いた長男も、「超楽しかった!」そうです。先生方や、関係者の皆さん、ありがとうございました!

詳細は転載元である『おとなになったらよんでほしい」をご覧ください。さらにショッキングな引用もあります。

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吉田和充/東京都出身

クリエイティブコンサルタント/クリエイティブコネクター

得意分野は、食や農、遊び、学び、育ち、子どもといった「人の真ん中」に携わる部分。

経営戦略、広報広告戦略の立案、プロデュースや、商品、新規事業開発、海外進出プロデュースなどの企業や店舗、個人の課題解決をしています。

海外のいろんなところに住んで、世界中で仕事をしたい、という中2的妄想を持つ40代クリエイター。

2015年保育士免許取得(←予定!)
2014年次男誕生に際して1年間の育児休暇を取得。
男子2児の父。

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