どの人にも「担任の先生」は存在する。

「今」と「昔」では同じ「先生」でも大違い。

昔は、結構「スパルタ」でも「生徒同士のケンカ」もさほど珍しくない。

でも、「今」は「体罰問題」になるから先生もうかつに「手」をあげられない。

「生徒同士のケンカ」にも割って入り、その生徒の「親御さんへ電話する」という

ことが多い。

私はもちろん「昔」に分類される。

私の昔の「担任の先生たち」はとても個性豊かだったので紹介したい。

手のかかる私に優しかった小学1年生の担任の先生

幼稚園はまだしも、初めての「小学生」にまったくなじめない子どもでした。

いや、まったくなじもうとしなかったです。

「休み時間友達と外で遊ぶ」とは「当たり前の光景」ですが。

私はまったくしようとしませんでした。

先生に幾度となく「お外で友達と遊ぼう?」と優しく話しかけてくれた。

にも関わらず、私は全く「行動せず」

今振り返ると「嫌な子ども」だったとしみじみ思う。

先生と一緒に帰る私

近所の子と「クラスが違う」ので、私は1人で帰っていました。

やはり、「からかわる」。

「なんで、1人で帰ってるんだよー」と。

確かに真実なのだが、私は1人で帰りたくて、帰っているわけじゃない。

そう言われると「涙がぽろぽろ」止まらなかった。

それを知った先生は「ずっと私と家まで帰ってくれた」

本当にありがたい、先生と一緒なんて。

でも、今思い返すと先生だって職員室での「仕事」もあろうだろうに。

ひとりの生徒のため「時間を割いてくれた」

迷惑がらず、私の思い出の心の中の先生は、いつも「笑顔」です。

自由奔放にさせてくれた優しい小学2年生の担任の先生

自分のことより、私も守ってくれた先生

ある日、学校の廊下を走っていると「教頭先生」に見つかってしまった。

1人の私に向かって「危ないじゃないか!」と大声で怒鳴りだした。

悪いのは私

でも、教頭先生の大声の怒鳴り声がとっても怖かった。

次の瞬間、担任の先生が私を助けに来てくれました。

「この子は私の担任をしている子です。勝手に怒らないでください!」

先生は上司である「教頭先生」に向かってこう言ってくれた。

私は「先生が私のことを、守ってくれた」そう思って、心底嬉しかった。

先生が飼っているニワトリが教室に登場

先生は飼っている「ニワトリ」を教室に持っていて、

「ニワトリを描いてごらん」と言いました。

「教室の中央に置いて」周りを囲むようにして、私たちは「ニワトリ」を描いた。

私はニワトリの顔を描いていた。

みんなもそうだろうと思っていたら、

隣の子は

ニワトリのとさか

その子は、なんと「ニワトリのとさか」だけを描いていて、ビックリ!

そこへ先生がきて「スゴイ絵だね。とさかってかっこいいよね。」

って褒めてまたビックリ。

「なんでとさかなの?なんで顔じゃないの?」と一切言わない。

生徒の「良いところ」を見つけてくれる先生だった。

ニワトリが卵を

みんなが、ゲージに入っている「ニワトリ」を描いている時に、

なんと「ニワトリが産卵」した!

みんなが、初めて「ニワトリが卵を産む瞬間」を目撃!!

教室中が「大騒ぎ」になった。

すると、先生はその卵を手に取って、生徒の「おでこ」に優しくぶつけて、

割ってみせてくれた。

それを見て、さらに興奮し騒ぎを起こした私たち。

大人になっても、この出来事はみんなで「語る」ことが多い。

この先生は「生徒を叱らない」「生徒を枠に押し込めない」。

だから、私は先生から「なんでも自分の意志で自由にしていいんだよ」

そう学んだ。

だから、こうして好きな文章を書く「ライター」もやっているし。

過去の歯科助手や東京ディズニーシーやくもんの先生。

いつも「やってみたい」からはじまっている。

すべてこの先生から「教えてもらった」大切なことです。

超スパルタだけど、愛情のある小学3,4年の担任の先生

今でいうと「体罰先生」に該当する。

けれど、生徒なりに「先生の愛情」も感じていました。

テストの点数が悪い時

テストで「平均点以下」になった場合。

先生は「お宅の子は勉強ができません」と電話をしていました。

もれなく私ものそ一員。

その電話を当時自営業していた父が出たらしい。

あとから、先生に「お父さんに怒られた?」と心配された。

まったく身に覚えはなかったが、ある日帰宅したら、父が「ワープロ」で

算数の計算をプリントアウトしてくれて「やってみたら」と渡された。

きっと、それだったのだろう。

時間割り表

私のランドセルに時間割り表が入っていて、家でちゃんと必要な教科書やドリルを

ランドセルに入れていた。

でも、小学生「忘れ物」をしてしまう。

けど、先生は「絶対に忘れ物をしてないけない」という信念がありました。

先生用の大きな定規

忘れ物をしたら、黒板の前に立ってみんなが見ている中、

この先生用の大きな定規で「おしりをたたかれる」

たたかれるのも嫌だし、みんなの前だと恥ずかしい。

廊下に立たされる

もしくは、「廊下に立たされる」

みんなと同じ「教室」に居ることができない。

ちなみに私は「廊下に立たされる」をされた。

授業を受けられない、独りきりの廊下。

忘れ物をしたら、「こうなる」と強烈にインプットされて、もう絶対に

忘れ物だけはしたくない!

学校から帰宅してすぐ、寝る前、学校へ行く前、に忘れ物がないかチェックした。

結果この1回の忘れ物で事なきを得た。

大人になった今でも「忘れ物が少ない方」だ。

でも、こうして今は「体罰」になるけれど、先生は1人1人をよく見てくれていた。

そして、休み時間には「ドッチボール」や「バスケットボール」を一緒にやってくれました。

独身だった小学6年の担任の先生

小学6年の私は生意気盛りだった。

先生の言うことをちゃんと守ろうという気持ちから「思春期」に入る頃でした。

この先生は私の母と同じ歳で「独身」だった。

子どもの頃は「結婚は簡単にできるし、みんなできる」という大間違いをしていて。

先生があんまりにも「うるさく」感じた時に。

たくさんの友達と「先生はうるさいから独身なんだよ。オールドミスババアだよ」

と言ったのを後ろで先生が聞いていた。

この「オールドミスババア」の言葉が呪縛となり。

当時の先生と同じ歳になった今、まさに私が「オールドミスババア」

になってしまった。




生徒のために頑張ってくれた中3の担任の先生

先生は「社会の先生」だった。

いつも「手作り」のプリントを見ながら、先生の授業を受けた。

そのプリントを見て「手振り身振り」で私たちに伝えてくれました。

戦時中のトマト

1番印象に残っている先生の授業。

戦時中に病に伏せている小さな女の子。

「なにが食べたい?」戦時中は食べたい物は手に入らない。

すると「トマト」とかすかに聞こえた気がした。

「トマト」を求めて、探し歩きまくった。

という話。

「トマト」を見ると思い出します。

中学3年生は「人生初の受験」があります。

うちのクラスは全員「第一希望」の高校へみんなが入れた。

それは、先生の努力のたまものに違いない。

直接高校へ出向いてくれただろう。

しかもたくさんの高校に。

今思い返すと、私なんかがあの高校に入学できるだけ、成績が良かったのか

と思うと、私自身も「先生の努力のたまもの」で入学することができたのだ。

中学校の卒業式

小学生の時は半分は同じ中学にすすむ。

でも、中学の卒業は「みんなバラバラ」になってしまう。

ある意味「本当の巣立ち」を初めて経験した。

3年間の楽しい思い出、大切なクラスメイト、そして色んなことを教えてくれた先生

とのお別れになる。

卒業式が終わり、先生が教室にやってきた。

私たちと先生との「最後の授業」だ。

先生は、長渕剛に「乾杯」をアカペラで歌ってくれた。

先生は人前で歌うタイプではない。

生徒からは自然と手拍子が。

「君に幸せあれ」・・・先生が巣立つ私たちにくれた「言葉」

この「乾杯」は名曲として歌いづがれている。

聞くたびに「先生がアカペラで歌ってくれた乾杯と手拍子をする生徒が居たあの教室」を

思い出す。

大人になるまで「さまざまな担任の先生」からたくさんの影響を受けました。

だからこそ、「今の私が居る」のです。


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