法華経を作った中国人

法華経といえば、その書面全体のほとんどを埋めているのは釈迦仏の名である。
釈迦とは誰もがご存知の通り、インドに誕生した世界最大を誇る仏経家である。
そして、当初、釈迦は王様であり、その王様の身をやめて生涯を仏道一筋に打ち込むことになった実在の人物であった。
ところで、その王様であった釈迦は実はその前世に於てもまた王様であったというエピソードが法華経の中に書かれている。
それは法華経の中の提婆達多品第十二という章に書かれているのだが、実はその前世に於ても最初は王様であった釈迦はいずれ同じく王の身を捨てて提婆達多という仙人のところへ修行に入ったまま、そのまま千年間、行方不明だったというらしいのだ。
そして、その提婆達多品の経典を法華経の編集に加えたのはその後の中国人だったのだ。

実存した言い伝えある釈迦の誕生は今から3千年前

釈迦の末法という言葉はよく耳にするが、末法とは釈迦の法がそもそも末だという意味である。

なお、釈迦の法が純粋に活かされている時代を正法と呼び、意味解明が薄れほぼ形だけになっている時代を像法と言い、その像法をさらに過ぎ去った時代を末法と言っているのである。

そしてそれらは一般的には、実存した釈迦が亡くなった後、千年間を正法、その次の千年間を像法、そしてそれ以降を末法といわれている。

それらから今は末法の時代と言われているが、その末法はいつからだったかと言えば、おおよそ西暦1000年前後だったと言われているのである。
つまり、その末法の始まり西暦1000年から像法・正法と逆算していくと、実存した釈迦が亡くなったのは西暦前1000年位ということになるようなのである。
されば、今の時代は釈迦滅後3000年位の経った末法突入1000年目位ということである。

ということで、今でいう中国4千年の歴史とは、実存した釈迦の前世1000年前からを物語るということなのだ。

前世の釈迦が行方不明の時代、何が起きていたのだろう?

前世の釈迦が仙人の提婆達多へ弟子入りした時代は、民衆の寿命がどんどん延び、一国の王としては万理全盛な時代を迎えていたということだった。
そういう恵まれた時代に過去の釈迦王はなぜ謎の失踪を起こしたというのか?
恵まれた時代だったからこそ、尚も更なる完全な知識を追い求めてやまなかったのだろうか?
そして、仙人の住む山奥へ修行に更け込んだままに1000年が過ぎ去った後、再び釈迦は王様としてこの世に誕生してきたという。
その釈迦の過去世の1000年間に一体何が起きて、世の中はどうなって行ったのか?
その後に釈迦が実在したというインド国に対する山の奥深くとはそのまま中国を意味するのか?

これでは日本の浦島太郎物語の海底に住む乙姫様の反対か? 実はインドの山奥に潜む提婆達多との物語が法華経として始まろうとしていたのか・・・
南無妙法・・南は無い、インドの南のインド洋には何も無い?・・北側の山奥から生まれた物語り、それが真実の法華経なのか?

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私は、まちづくりをもし専業にできたら素敵だと思っています。
世の中には、国造り、会社づくり、モノづくり、人づくり、お金づくり・・・さまざまな「つくり」がありますね。
その中でも、まちづくりとはわざわざ心掛けて作ろうとしなくとも、放っておけば出来上がるかのような最も漠然と掴みどころのないものに思えます。
しかし今あちこちで、何かとまちづくりが大切であると、なぜ呼びかけが始まりだしているのでしょう?
 
私は、まちづくりの動機の動機と言えば、ただのきっかけだけがカギを握っていると思います。
そして、まちづくりとは案外、国造りよりもっと大きな心がけを必要とするのではないかとも思えています。
それは、誰もが最も身近に感じ得る共通の課題意識であることである共に、一体まちづくりをどうすべきであるかは誰にも直接にはその責任や方法を知り難いことだからだと思います。
いわゆる、自分に直接降り掛からなければどうでも良いことこそが一番複雑で難しい問題であると言えるでしょうね。
ですから、その何か偶然のきっかけが必要なのです。
そのきっかけについて、関心がある人たちで話し合い、実行していけることが本業にすることができれば、私はきっと最高の喜びに違いないと思っています。

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