国上・酒呑童子

出典 http://tsubame-kankou.jp

鬼としての宿命は越えられない・・?

今、地域観光などを中心に鬼のテーマが主流の行事が多く見受けられる。
しかし何故、かつて人々に恐れられ嫌われた歴史上の鬼が今、異常に脚光を帯び、もてはやされているのだろう?
商工事業を通じた観点からは実際に売り上げにつながっている実績があるからこそ、初めて持続して引き継がれているには違いない。
結局のところ、実際の鬼という実在したデータより、架空の伝説として現代的に考えた芸能ブームに支えられた興味心の高まりが地域呼び込み経済を刺激し続け、魅力を惹きつけているのではないだろうか?

鬼にとって、その存在の宿命は決して逃れられないオファー(条件)なのか?

鬼とは地獄世界に居るものだ。
その地獄世界を今の人間社会に当てはめてしまいたいと願う刺激は、恐ろしい奇怪な現象へのリアル体験を求め出しているのだろうか?
そして、なぜそれを求めるのだろう?その原因や理由を探らなければならない。
決して、何も意味など無いだろうでは済まされない、必ず有る原因や理由なのは間違いないのだ。
そこを突き詰めて考えていく力が現代人は必ず不足しているのだ。

仏教上の阿修羅を鬼と勘違いしてませんか?

阿修羅とは、仏教寺院の門の両脇などに恐ろしい顔つきと出で立ちで睨んでいる像のように、いつまでも怒りの終わらない阿修羅世界に住む鬼神・魔物などを言うらしいのです。

阿修羅界とは、私たち人間界のように通常の喜怒哀楽のうち、笑いや快楽が一時もなく、怒り狂っているいるのです。
通常はそれを地獄界と見なしがちのようですが、実際のところ、仏教における十界というものは、一番上は仏界、一番下は地獄界、そしてその中間世界を含めて十段階に区分したものであって、人間界とはその一番下の地獄界から数えて五段階目に存在しており、そして阿修羅界とは人間界のすぐ下にあり、地獄界から数えて四段階上に位置する世界なのです。
 
つまり、阿修羅界の下には地獄界を含めて三段階あるわけですが、それは地獄界・餓鬼界・畜生界のことです。
実に人間界にとって地獄界は或る程度、遙か遠い段階世界であるようですが、阿修羅界とはほぼ近接した関係にあるところが特徴の意味するところです。
つまり、人間は地獄までには落ちなくとも常日頃、阿修羅界には堕ち入っていやすいということです。
また、阿修羅界のさらに下の畜生界・餓鬼界にまで落ちていってしまったなら、話にもならないということですし、人間としては救いようもないということですよね。

阿~ちゃん

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神は祟り、仏は因縁を与える

神は基本的に創造したままでないと全地球規模に総合的に祟るのです。
それに対し仏とは、その災い祟りある中で各々に対する因縁、つまり宿縁・宿命を与えて区分しているのです。
いわばそれが仏の救済方法と言えるでしょう。
今置かれた自分がどのような因縁、つまりどういう世界境遇にあっているのか?
それを仏に見定めてもらって自分自身で対策することが宿命の解決につながるのです。

言い忘れましたが、仏教上の人間界の上には天上界という世界が有って、実はそこが天神たちの住む世界と言われています。
阿修羅界には鬼神・魔神が居ると言いましたが、実は天上界に背いて人間界の下まで落とされたのが阿修羅なのです。
そのために阿修羅は元は天神の類だったのでしょうが、落とされた以降は神よりも仏に味方するものとなっていると考えれば、すごくわかりやすいでしょう。
ですから阿修羅も仏から阿修羅界という因縁をもらい、つまりはいずれは早く人間になりたいと、そのための厳しい宿題を嫁せられている最中と考えればよいですよね。

これを仏教では、今の厳しい境遇世界を脱出しようとすることを離脱といっているのです。

早く、人間に代わりたい・・

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私は、まちづくりをもし専業にできたら素敵だと思っています。
世の中には、国造り、会社づくり、モノづくり、人づくり、お金づくり・・・さまざまな「つくり」がありますね。
その中でも、まちづくりとはわざわざ心掛けて作ろうとしなくとも、放っておけば出来上がるかのような最も漠然と掴みどころのないものに思えます。
しかし今あちこちで、何かとまちづくりが大切であると、なぜ呼びかけが始まりだしているのでしょう?
 
私は、まちづくりの動機の動機と言えば、ただのきっかけだけがカギを握っていると思います。
そして、まちづくりとは案外、国造りよりもっと大きな心がけを必要とするのではないかとも思えています。
それは、誰もが最も身近に感じ得る共通の課題意識であることである共に、一体まちづくりをどうすべきであるかは誰にも直接にはその責任や方法を知り難いことだからだと思います。
いわゆる、自分に直接降り掛からなければどうでも良いことこそが一番複雑で難しい問題であると言えるでしょうね。
ですから、その何か偶然のきっかけが必要なのです。
そのきっかけについて、関心がある人たちで話し合い、実行していけることが本業にすることができれば、私はきっと最高の喜びに違いないと思っています。

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