ブルーザー・ブロディ刺殺事件とは…

あれは夏の日の悪夢でした。

1988年7月16日、プエルトリコ・バヤモンのバヤモン・スタジアムでのWWCの興行中、プロレスラーのブルーザー・ブロディとレスラー兼ブッカーのホセ・ゴンザレスと口論を起こし、ドレッシング・ルームにて腹部をナイフで刺される。刺し傷が肝臓に達し、翌7月17日、出血多量により死亡。痛み止めのために常用していたアスピリンの副作用により、出血が止まらなかったともいわれている。また、興奮剤を服用していたのが裏目に出たともいう。なお、裁判では、現場に居合わせたレスラー仲間たちが揃って証言を拒否し(脅迫を受けたり、出廷要請の通知が届かなかったりしたため)、最終的にホセ・ゴンザレスは正当防衛として無罪判決を得ている

出典 https://ja.wikipedia.org

 “超獣”ブルーザー・ブロディが亡くなったのは1988年7月。それから、はや四半世紀が過ぎた。
 死因は、プエルトリコでの興行最中、控え室で腹部をナイフで刺されたことによる出血多量。「あのブロンズ像のような体躯を誇るブロディが、たかが一本のナイフで絶命した」という事実に、多くのプロレスファンは言葉を失った。

 ちまたでは、同地プロモーターとの間でトラブルのあったブロディを、その配下選手が制裁の意味で刺したと伝えられている。ただし、この事件における加害選手はその後の裁判で「正当防衛による無罪」の判決を得ていることには留意しておくべきだろう。
 「プロモーターの意向を汲んだ目撃者たちが黙秘を貫いたため、加害側の主張が通って無罪となった」ともいわれるが、さて、ブロディ側に明白な正義があったならば、そうした結果にはなっただろうか。また、プロモーターが商品である選手を「言うことを聞かないから」と意図的に制裁を加えたのでは、自らの評判を落とすことにもなる。気に入らないなら契約しなければいいだけで、その点にもいささかの疑念は残る。

 ブロディにまつわる明らかな誤解としては、1985年、新日本プロレスに“引き抜かれた”というものがある。
 当時を知るスポーツ紙記者は語る。
 「全日本プロレス側がギャラや勝敗にうるさいブロディを持て余していたのを見て、全日担当記者が新日担当記者に紹介したというのが実際のところ。選手の大量離脱で苦しんでいた新日からすれば渡りに船の話で、すぐに飛び付くことになったのです」

 いわば全日が自ら放出したような形だったのだ。
 そうであれば、ブロディが新日を離れた後、1年も待たずしてスムーズに全日復帰となったことにも説明がつく。復帰の際には以前よりも契約条件が下がったというから、「安く済むなら使ってもいい」という判断が全日側にあったのだろう。
 一方のブロディは、なぜファイトマネーが下がっても全日参戦を選んだのかといえば、それは「馬場への信頼」があったからだった。契約条件や試合のアングルなど、全て事務方に任せた上で時に勝手な変更もする猪木=新日と、自ら選手に全て説明をする馬場=全日の違いは、当時来日参戦した多くの外国人レスラーが口にするところだ。
 多少条件は落ちても働きやすいところで…というと、まるで一般人の会社選びのようだが、ブロディがそういった、いわゆる常識的な考えの持ち主であったと当時の関係者たちは口をそろえる。

 「一度は馬場を裏切ったことをブロディは後悔していた」と、盟友スタン・ハンセンも後に語っている。
 またブロディ自身も全日復帰後のインタビューで、その理由を問われたときには馬場の名を挙げて「相互の信頼によって成り立った典型的なビジネスの例かもしれない。馬場と私は1回もお互いを疑ったことはないし、だからこそ20年も全日本にいられたんだ」と語った。

 新日で藤波辰爾に負けることより、多少ギャラが下がっても、全日でのジャンボ鶴田との互角の戦いを選んだ。ブロディがIWGPタッグリーグ戦欠場から全日復帰に至るまでの要点はそこにある。
 自身の望む働き方と長期の安定収入を求め続けたブロディが、ようやく日本でその場所をつかんだ。全日復帰後のインター王座選手権で鶴田に勝ち、涙を流してまで喜んだのは、そうした心情の表れだったといえそうだ。
 そんなブロディが、日本での歓喜の涙から半年も経たずしてプエルトリコの地で客死するとは、何とも皮肉な話である…。

出典 http://npn.co.jp

俺達のプロレスTHEレジェンド 第1R 死を招いた計算高さ〈ブルーザー・ブロディ〉
週刊実話

ブルーザー・ブロディとは…

ブルーザー・ブロディ選手の死は世界中に大きなショックと衝撃を与えました。

あれから今年(2015年)で27年が経ちました。
今回はブロディ選手にゆかりのある関係者・選手達の想いについて取り上げたいと思います。

"長年のタッグパートナー"ジミー・スヌーカの想い

ブラザーの魂はいつもそばにいてくれる

(ブロディの死は)シンガポールのホテルで知った。
(中略)
ブロディの死んだことはプエルトリコにいたレスラーたちからの情報ですぐにアメリカ本土にいる仲間の耳に入った。
(中略)
(ハワイにいる)ワイフが俺の滞在先の滞在先のホテルに電話をしてきたというわけだ。
(中略)
ブラザー(ブロディ)と俺は、レスラーであるまえにファミリー、ラブ、ゴッドについて語り合える友達同士だった。二人でいる時はビジネスに関する話はほとんどしたことがなかった。ブラザーは日本にも知り合いが多かったから、サーキット中はいろいろな人達と会い、一緒に食事をし、酒を飲んだものだ。ブラザーは日本の国、そして日本人を愛していた。
(中略)
本当にわかりあえるフレンズなんて、一生のうちに何人もめぐり遭えるもんじゃない。俺にとって、ブロディとはそんな男だった。彼が死んだとき、すぐそばにいてやれなかったのが悔やまれる。
(中略)
今日も、どこかで誰かがブルーザー・ブロディの不在を悲しんでいる。いつも、だれかがブロディのことを懐かしんでいる。
(中略)
俺にはブラザーの代わりはできないし、するわけにいかん。ブロディは一人しかいない。
(中略)
天国へいったブラザーのスピリットがいつもすぐそばにいてくれる。

出典DECADE(デケード) 1985~1994 プロレスラー100人の証言集(上下巻)斉藤文彦 著 (ベースボールマガジン社)

”ライバル”アブドーラ・ザ・ブッチャーの想い

ブロディ刺殺事件の現場となった会場にいたブッチャー

(ブロディ刺殺事件が起こった当日・7月16日は)ヒール側のドレッシングルームにいた。俺はメインイベントでカルロス・コロンのWWCユニバーサル選手権に挑戦することになっていて、ブロディはたしか上から3番目のシングルマッチでダニー・スパイビーとノンタイトル戦を行うことになっていたはずだ。プエルトリコでは俺がヒール、ブロディはベビーフェースだったので会場に入ってから顔を合わせることはなかった。
(中略)
8時半ごろ救急車が入ってきて、ドレッシングルームのまわりが慌ただしくなった。「ブロディが刺された!」とな。病院にはトニー・アトラスが付き添っていたが、その時はカスリ傷くらいかと思っていた。
(中略)
翌日もビッグショーが行われることになっていたんだが、アメリカ人レスラーのほとんどが出場をキャンセルしてしまったんで、試合は中止となった。俺も試合にはどうしても出来る気になれなかった。

16日の晩、ブロディのことを考えて一睡もできなかった。それで、一晩中ホテルのロビーと自室を行ったり来たりしていた。

出典DECADE(デケード) 1985~1994 プロレスラー100人の証言集(上下巻)斉藤文彦 著 (ベースボールマガジン社)

天国のブロディの"声"を聞いたブッチャーは導かれるようにサンファン空港へ…

そして「悪い知らせ」が来た。

俺がそれを誰から伝えられたわけでもない。ブロディの魂が俺のところへやってきて、こう訴えかけるんだ。

「俺のワイフが今こちらに向かっている。俺は会いに行ってやれない。ブッチ(ブッチャー)、お前が会ってやってくれ」

俺はブロディの言いつけ通りに、サンファン空港に急いだ。ブロディのワイフには一度だって会ったことなどないのにだぞ。そして、俺がブロディの天からの声を聞いてから5時間後、彼女は息子のジェフリーと一緒にプエルトリコに着いたんだ。俺は彼女たちを見つけようと思って、夢遊病者のようにエアポートのなかを歩き回った。すると前から歩いてきた子供連れの夫人が「こんにちは、ブッチ」と声をかけてきた。彼女のアクセントを聞いた瞬間、あっ、この人がバーバラなんだなとわかった。

出典DECADE(デケード) 1985~1994 プロレスラー100人の証言集(上下巻)斉藤文彦 著 (ベースボールマガジン社)

ブロディの死をバーバラ夫人に最初に伝えたのはブッチャーだった

彼女は「フランクの容態はどう?」と尋ねるんだ。そして、俺は彼女に「フランクはもういない」と答えねばならなかった。

バーバラは、その場でヒザから崩れ落ちた。俺は彼女に、そんなことはしてはいけない、フランクはあなたに強い女性でいてほしいと願っている、と伝えた。すると彼女は「わかっているわ」と言って、立ち上がった。ジェフリーもそこに立っていた。
(中略)
俺はブロディの魂に導かれるままにエアポート(空港)までたどりついただけなのだから。フランクの死をバーバラに伝えるのは俺しかいなかった。

出典DECADE(デケード) 1985~1994 プロレスラー100人の証言集(上下巻)斉藤文彦 著 (ベースボールマガジン社)

"盟友"スタン・ハンセンの想い

ブロディは本当の個人主義者だった

(ウエスト・テキサス州立大学フットボール部時代)俺がミッド・ラインバッカーで、フランクはデッフェンシブ・エンドだった。ただ、一緒にプレーしたのはほんの半年くらいだ。
(中略)
フランクと再会したのは俺がこの世界に入って1年ほどしてからだった。
(中略)
俺達はロード・ウォリアーズではないんだ。一人ひとりが完成されたシングルプレーヤーであって、しかもタッグを組めば第3のアイデンティティが生まれる。たしかにテッド・デビアスもいいレスラー出し、テリー・ゴディも頑張ってくれている。だが、誰もフランクの代わりにはなれない。
(中略)
いつか闘わなければならない日が来ることをお互いに知っていた。フランクも俺との試合を楽しみにしていたんじゃないかな。それも日本でね。リング上の話に限って言えば、ブロディが死んでしまって残念なのはそれかな。リング外での話となると…。ちょっと言葉ではいい表せないな。
(中略)
プエルトリコの事件は悪い夢であることを祈った。でも、現実は現実だ。
(中略)
フランクは本当の個人主義者だった。自分の意志で運命を切り開き、生きて、そして死んだ…。

出典DECADE(デケード) 1985~1994 プロレスラー100人の証言集(上下巻)斉藤文彦 著 (ベースボールマガジン社)

ブルーザー・ブロディ・メモリアルナイト

全日本プロレス「’88サマーアクションシリーズ パートⅡ  ブルーザー・ブロディ・メモリアルナイト・イン・武道館」
1988(昭和63)年8月29日 東京・日本武道館

この日は、本来はスタン・ハンセン選手VSブルーザー・ブロディ選手の初のシングルマッチを行う予定でした。しかし、ブロディ選手の死によって、幻となりました。

代わりに組まれたのがスタン・ハンセンVSアブドーラ・ザ・ブッチャーの日本マット初のシングルマッチでした。

超獣に捧ぐ不沈艦VS呪術師

 ハンセンの右手には、バーバラ夫人からもらったばかりのチェーンが握り締められていた。ブッチャーはブロディから譲り受けたと称するチェーンをぶら下げてリングに上がってきた。武道館に集まった1万人を超す観衆が「ウォ、ウォ、ウォ」の雄叫びを大合唱する。
 その場にいたすべての人間が、ブロディの不在を強く感じていた。2本のチェーンのうちのひとつにはブロディの汗が染みこんでいて、ツヤのないぼんやりとした色をしている。もう一方のチェーンがピカピカの新品であることは、誰が見ても明らかだった。
 本物と偽物が出そろったことで、図らずもブッチャーがブロディの守護神をまんまと商売道具にスリ替えようとしていたことだけがはっきりした。
 選手紹介のコールと同時に、ハンセン・コールが場内を支配した。ファンもまたチェーンの正統な継承者がハンセンであることを知り抜いていた。
ブッチャーにとってチェーンは単なる新趣向の凶器でしかない。ゴングを鳴ると、今後は空手着の中から棒状の凶器が出てきた。あっという間にハンセンの額が割れた。スタミナ不足で体が動かなくなったブッチャーは、以前にも増して凶器攻撃に頼るようになってしまった。
 相手がまったくレスリングをする気がないのだから、ハンセンもまともなファイトができない。流血パフォーマンスしか頭にないブッチャーに付き合わされたハンセンの表情からは、どうにもやるせない切なさがうかがえた。
 ふたりのうちで感傷的になっていたのは、どう見てもハンセンの方だった。これがブロディ・メモリアルナイトでなかったとしたら、試合展開はまるで違ったものになっていただろう。
 ブッチャーのしつこい凶器攻撃に怒ったハンセンは、ブーツを凶器がわりにしてブッチャーの額をめった打ちにした。そういえば、ブロディの毛皮ブーツが試合中に脱げてしまったこともあった。
 「移民の歌」、チェーン、雄叫び、流血、黒いブーツ。ひとつひとつの局面でブロディの姿がオーバーラップさせた。ハンセンとブッチャーはブロディをよく知る友人の代表としてリングに上がっていた。
 気が付くと、ブロディのもうひとりの親友スヌーカがリングに飛び込んでいた。次の瞬間、試合終了のゴングとともにリング中央ではハンセンが狂ったようにチェーンを振り回していた。みんなが、それぞれのやり方で天国へ行ったブロディに別れを告げた。

出典DECADE(デケード) 1985~1994 プロレスラー100人の証言集(上下巻)斉藤文彦 著 (ベースボールマガジン社)

「ブラザーの魂はいつもそばにいる」と語ったスヌーカ選手、「ブロディの魂に導かれてバーバラ夫人を迎えに空港まで行った」というブッチャー選手、「現実と受け止めつつも、言葉ではいえないほどのショック」を受けたハンセン選手。


ブロディ選手の死には残されたプロレスラー達の三者三様の想いがあったのですね。

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