保育を学ぶものとして

一人の親として

一人の人間として

徹底的に子どもの側に立つために

考えなければならなかったこと。

” なぜ 体罰はいけないの? ”

子どもの頭を叩く
おしりを叩く


「こうでもしないと わからないから」


そうでしょうか?


同じことを大人にやったら傷害です。 事件です。

大人にしてはいけなくて
子どもにはしてもいいなんて
そんな理屈は通りません。


もし、子どもだから少しくらいの体罰は良い という人がいたら、
その人は子どもの尊厳を軽んじています。


「もう何やってるの」    ぺん
「やめてよっ」      ばちん


尊厳を軽んじられてきた子どもが
大きくなって 人の尊厳を重んじる人になると思いますか?
きっとなれないでしょう。

子どもだからと権利を軽んじられた子どもが、
人を尊敬するようになるでしょうか?
尊敬を学ぶことができるでしょうか?


まず、私たち大人が子どもを尊敬することでしか
子どもは尊敬を学べません。


私たちと子どもは役割こそ違えど、対等な人間です。

・子どもは人として尊敬され、
・社会の一員としてその権利を重んじられ、
・良い環境の中で育てられる、権利を有しています。

※児童に関する権利条約


もし、あなたが親なら
子どもを思わず叩いてしまったとき、
「ごめんね」って思うでしょう。
叩いてしまった自分を責めて、
「もうしないよ」って きっと心に誓うはず。毎回毎回、誓うはず。
ごめんねって思うのは、それが良くないことだってわかっているから。
きっとその手を上げずに済む日がくる。


でももし、あなたが保育者だったら、教育者だったら、
絶対に子どもを叩いてはいけない。
プロとして 子どもの前に立つのなら。
子どもを教育・保育する上で、体罰を容認する法律は もちろんありません。


子どもに尊敬・責任・信頼を育てたいのなら、
体罰はおよそ そぐわない方法です。


教育者・保育者・仕事として養育を行う者は、
「いかなる場合においても、
体罰や子どもの人権を辱めるような行為を行ってはいけない。
プロならば、体罰の起こりやすい状況や場面について知り、
体罰を使わずに子どもを導く養育技術を 習得することが大切である」

※社会的養護関係施設長会議(青森)より

そうでなければ、保育や教育の「専門性」が意味をもたないから。


オーストリアの精神科医 アルフレッド・アドラーは、
教育の目標の一番最初に「尊敬」をあげ、
『自分がまず、相手を尊敬することが 
              相互尊敬である』
と言いました。


イタリアの教育者 マリア・モンテッソーリは
『子どもを尊敬することから、
       教育やしつけは始まる』
と言いました。


子どもたちの権利を守ること
子どもたちの最善の利益を守ることから 平和は始まると信じて。


私は世界が平和であってほしい。
自分の子どもたちと
世界中の子どもたちが幸せであってほしい。


「児童に関する権利条約」ができるずっと前から、
子どもを子どもなりに尊敬することの大切さを 
世の中に伝えていた先人たちがいます。


先人たちの遺志を、私も自分なりに未来に繋いでいきたい。



◆ 参考文献 ◆

『クラスはよみがえる』 野田俊作、萩昌子/著 創元社
『あいじゅだより ~モンテッソーリ教育を実践する幼稚園から~』天野珠子/著 碧天舎

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「子どもの気持ちに寄り添い続ける」がモットー。
元気で愉快な小学生男子二人のママ。
子育てのバイブルは『子どもへのまなざし』。
アドラー心理学をとりいれた子育て実践中。
モンテッソーリ教育お勉強中。いちごよりいちご味が好き。

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