今年は寺山修司生誕80年

寺山修司は1935年に青森に生まれ、歌人であり劇作家であり、俳人、詩人、小説家、映画監督、演出家、写真家と表現者という職業のほとんどをやりつくした人です。

今年は生誕80年というということで関係者がイベントを企画しているようで、表題の「シュウジ」というキンシャサノキセキ産駒の2歳馬もこの生誕80年に因んで名づけられたのだそうです。3連勝で制した小倉2歳Sの勝ちっぷりは実に力強いものでしたので、今年の3歳チャンプも夢ではないかも知れません。

寺山修司の業績はいろいろありますが、競馬ファンにとってはやはり単なるギャンブルのひとつでしかなかった競馬に「文化」というイメージを色付けてくれたことだと思います。

生まれこと自体が奇跡だった「流星の貴公子」テンポイントの急逝に贈った「さらば、テンポイント」は、当時まだ中学生だった私の胸にも深く沁みたことを憶えています。

さらば、テンポイント

もし朝が来たら
グリーングラスは霧の中で調教するつもりだった
こんどこそテンポイントに代わって日本一のサラブレッドになるために

もし朝が来たら
印刷工の少年はテンポイント活字で闘志の二字をひろうつもりだった
それをいつもポケットに入れて
弱い自分のはげましにするために

もし朝が来たら
カメラマンはきのう撮った写真を社へもってゆくつもりだった
テンポイントの最後の元気な姿で紙面を飾るために

もし朝が来たら
老人は養老院を出て もう一度じぶんの仕事をさがしにいくつもりだった
「苦しみは変わらない 変わるのは希望だけだ」ということばのために

だが
朝はもう来ない
人はだれも
テンポイントのいななきを
もう二度ときくことはできないのだ
さらば テンポイント

目をつぶると
何もかもが見える
ロンシャン競馬場の満員のスタンドの
喝采に送られてでてゆくおまえの姿が
故郷の牧草の青草にいななくおまえの姿が
そして
人生の空き地で聞いた希望という名の汽笛のひびきが

だが
目をあけても
朝はもう来ない
テンポイントよ
おまえはもうただの思い出にすぎないのだ
さらば
さらば テンポイント
北の牧場にはきっと流れ星がよく似合うだろう

寺山修司『旅路の果て』より

出典 http://www.nikkankeiba.co.jp

1977年第22回有馬記念

出典 YouTube

テンポイントVSトウショウボーイの伝説の名勝負です。トウショウボーイの引退レースで、これが2頭の最後の勝負でした(テンポイントにとっても次走の日経新春杯で故障競走中止となっており実質的な最後のレースでした)。
3コーナーで馬体が合ってからゴール手前まで続く抜きつ抜かれつのお互いの意地をぶつけあったデットヒートは見るものの心を鷲掴みにしました。沢山レースを見てきましたが、こういうレースには滅多にお目にかかることは出来ません。

関連して、先日発表になったトウショウ牧場閉鎖の記事は、時代を感じさせる寂しい出来事でした。

かもめは飛びながら歌をおぼえ 人生は遊びながら年老いてゆく

そして、競馬ファンの方は、いや競馬ファンではなくても、何か熱中出来る趣味や大好きなことがある方、そして人生をより楽しくより意味のあるものにしたいと思われる方は、是非このCMをご覧ください。

詩の全文も引用しましたが、まずは動画をご覧いただきたいと思います。

1973年日本中央競馬会のCM

出典 YouTube

かもめは飛びながら歌をおぼえ
人生は遊びながら年老いてゆく
 
遊びはもうひとつの人生である
そこにはめぐり逢いも別れもある
人は遊びのなかであることを思い出し、あることを忘れ、そしてあることを捨てる
 
人はだれでも
遊びという名の劇場をもつことができる
 
悲劇 喜劇 活劇 メロドラマ
そこで人は主役になり、同時に観客になることもできる
 
ぼくは人力飛行にあこがれていました
飛行機はただの道具にすぎなかったが、飛ぶことは思想でした
ぼくは大空を見あげて思いました
プライバシーなんかいらない
フライバシーがほしい、と
 
遊ぶことは 冒険することであり、
ためすことであり、知ることだったのです
 
ぼくは「運の悪い女」がきらいです
なぜなら「運の悪い女」には、人生が一つしかないからです
遊びは、不運な人たちにも
「もう一つの人生」があることを教えてくれるのです
だからぼくは、いつでも自分に掛ける
 
どういうものか「誰が故郷を思わざる」という歌をうたうと、ツキがまわってくるんです
はじめて競馬場へ行ったとき
はじめて玉突きを覚えたとき
はじめて女を口説いたとき
 
だからぼくは
皆で一度、一緒に唄ってみたらいいんじゃないかと思っているんです
政治の悪い時代には、「誰が故郷を思わざる」でも唄ってみる
そういうもんじゃないのかな、遊びなんて
 
人生が終わると、遊びも終わってしまう
しかし、遊びが終わっても人生は終わらない
遊びは何べんでも終わることができるから、何べんでもやり直しができる
 
出会いと別れのくり返し
そこが遊びのいいところなんだね
人生では敗けられないが、遊びなら敗けられる
そして敗けを知ったものだけが味わえる風景というものがある
 
「誰が故郷を思わざる」なんて唄は
競馬をやったことのある者にしか、味わうことができない唄ではないだろうか
 
人生が、いつばん安上がりの遊びである
死が、いちばん高くつく遊びである
 
遊びは、人生の時刻表である
人はそこに立ち止まり、自分の乗る汽車をえらぶ
 
人生は汽車である
旅をしながら年老いてゆく
 
遊びは不幸な人間の第二の人生である
遊びは不幸な人間の第二の魂である
 
人は誰でも、もう一つの人生をもつことができる
それは遊びである
ドストエフスキーは言っている
「一杯の茶のために、世界など滅びていい」
 
夢の中で無くしたものを
目がさめてからさがしたって見つかる訳はない
現実で失くしたものを、夢の中でさがしたって見つかる訳はない

人は誰でも二つの人生をもつことができる
遊びは、そのことを教えてくれるのです

出典 http://www.asahi-net.or.jp

誰か故郷を想わざる

出典 YouTube

でも、私はまだ負けてない

寺山修司は47歳で急逝してしまいましたが、きっと他の人の何倍も生きたのだろうと思います。私はもう彼よりも長く生きてしまいましたが、まだまだ彼ほどに人生を生きていません。それは全くもって足元にも及んでいません。

でも、まだ間に合います。
だって、まだ私は生きているのですから

寺山修司の倍の時間をかけてでも、きっと彼に追いつき追い越す人生を送る為に、彼以上に遊んでみせようと、意気込みます。

「そうしたらいいだろうよ」と、彼はきっと小さな声でボソリつぶやいてくれるでしょう。今度の週末には、競馬は秋に変わります。

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花咲 未来 このユーザーの他の記事を見る

心にいつも熱い想いが詰まっている「夢多きアラフィフ」です。子育ても給料を運ぶ以外はほぼお役ご免になりましたので、これからの自分はどう生きるかを模索しながら、第二の青春を生きています。『アオハルはいつも間違える』ので、記事には誤字脱字のなりように気をつけます(^^;;

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