20数年を経て語られる長崎でのインタビュー秘話

出典 http://www.gettyimages.co.jp

長崎から光と祈りを世界中に発信してくれたことに感謝の思いです。
今日は僕の妻のブログから。

8月30日、稲佐山行きを断念したものの、諦めきれず、博多の映画館のライヴ ビューイングにうちのダンナさんと行ったんだけど、冒頭から涙腺崩壊。

デビュー25周年を迎えた福山くんの『長崎への想い』 が映像で綴られていて、自分の地元への想いと重ねてみていました(敬意を込めて、“福山くん”と呼ばせていただきます)。

わたしは、長崎で生まれ、「一生この街をでることはない」と思って生きていました。それは、諦めなどのネガティブな気持ちではなく、長崎が大好きだったから。それが、離婚してシングルマザーになり、娘の進学で長崎を離れることに・・・38歳のときでした。

地元を離れることを決めた自分に自分自身が一番驚きました。
それから3年後・・・手に入れた就職先を手放し、大阪と長崎を毎週のように往復するようになりました。イベントやワークショップを開催するために。

生活している大阪ではなく、故郷長崎を迷いなく選んでいました。だけど、帰るたびに少しずつ変わっていく街、そして、地元の人との距離感に故郷を離れた罪悪感を感じていました。

「でていった人間のくせに」

そんなこと誰にも言われていないのに。
自分が一番そう感じていたんです。

遡ること、20数年前・・・
地元FM局のアナウンサーだった頃、福山くんにインタビューする機会がありました。プロモーションできていたので、入れかわり立ちかわり、かなり長時間だったと思います。
当時、一番後輩だったわたしは、インタビューの順番が最後。スタジオから出てくる先輩たちが口をそろえて言いました。

「機嫌が悪いから、やりにくいよ」
あの頃、地元で「地元に帰ってくるのが嫌なんだ」とか「売れたから態度が大きい」とか
よく耳にしていたので、「やっぱりそうなんだ」と、ただでさえ緊張しているのに、不安で、さらに怖くなっていきました。

そして、自分の番がまわってきたときに、何かがプツンと弾けました。収録が始まり、準備していた質問が書かれた紙を裏返しました。何を聞いたかは、あまり覚えていないのですが、ただただ、たわいもない、長崎の地元話をしました。
そこには、「機嫌が悪いから、やりにくいよ」と言われていた福山くんではなく

笑顔で楽しそうに話してくれる福山くんがいました。

出典 http://www.gettyimages.co.jp

その時は、長時間の収録で疲れていたんだろう。
同じ質問ばかりで飽きてたんだろう。
そんな風に思いました。

ずっと、そう思っていました。
でも、この前のライヴを見て、あらためて思ったんです。
この人は、本当に長崎が好きで好きでたまらないんだなあ。

あのときも、「なんで、せっかく久しぶりに地元に帰ってきたというのに、お決まりの質問しかしないんだ」と、寂しかったんじゃないかと。

「でていった人間のくせに」と闘っていたんだなあと。
思いは同じなんだと思います。

「生まれ育った街が好きだから」では、とても表せないくらい、地元を愛していること。
そして、そんなに愛せる街が自分にもあることが幸せなことを、今回のライブを通してしみじみ感じることができました。

「生まれ育った街が好きだから」では、とても表せないくらい、地元を愛していること、そんなに愛せる街が自分にあることが幸せなことを、今回しみじみ感じました。

この記事を書いたユーザー

TAIZO このユーザーの他の記事を見る

Mother Treeの事務局・運営・企画をしています。
マザーツリーでは、「愛される“心”のつくりかた」をコンセプトに、自分の心と身体に向き合う場として、様々なセミナーやワークショップ、イベントを提供しています。

その他、カラダ調律師、フェイスデザイナーとして個人でも活動中。
カラダ調律、フェイスデザインとは、お客様のカラダに負担をかけずに極僅かな力とタッチで、数値ではなく見た目の『形』そのものを劇的に、また瞬間的に変化させるこれまでの常識を超えたまったく新しいボディデザインメソッド。
オールハンドで肌に軽く触れるだけで、小顔で美しいフェイスラインを創りあげる『フェイスデザイン』や、カラダの可動域をひろげ疲れや痛みをケアします。

現在、年内書籍出版に向け執筆中

権利侵害申告はこちら