この夏に見た映画「野火」は、第二次世界大戦時、フィリピン・レイテ島の闘いを実際にくぐり抜けた実体験に基づく映画で、その飢えの凄まじさは「仲間の人肉を食べるかどうか?」というところまで発展していた。

「おいしいもの」はおろか、「何でもいいからお腹を満たしたい」という最低限の願いが叶えられないストレスと苦痛は計り知れない。

一日3食食べられる国、または不自由なく食料が手に入る国は、日本を含めて2割程度しかなく、一日4~5万人が餓死している。餓死する人もいなくはないが、日本では稀。

私自身も、「貧しい」部類に入るだろう「牧師の家庭」に育ったが、「食べることができず、ひもじい思いをした」という経験はなかった。

水道をひねれば水が出る、冷蔵庫を開ければ食料が入っているという状態は、世界的に見れば決して「普通のことではない」と知らされる。

出典PHOTO;牧師の妻

人口の増加と「貧しい者は幸い」という聖書の言葉

現在、世界の人口は約70億人に達したと推計されている。20世紀初頭、世界の人口は15億人だった。

100年後の2000年には60億人を突破し、現在70億、50年後には90億人、100億人を突破すると予想されている。

この事態について、聖書神学舎校長・鞭木由行師は「現代に特有な貧しさの問題」という文章の中で、次のように提言されている。

「…地球は、いったいどれくらいの人々を養い支えることができるのでしょうか。でも限界が必ずきます。そして、最終的には食料と資源をめぐって混乱が起き、最後は戦争へ突入していきます。すでに武力紛争は世界の各地で続いています。
そう考えてくると、今日、私たちが実際に慎ましく生きることの重要性を思わされます。
それはクリスチャンであるがゆえではなく、むしろ現在の地球に生きる一人の人間としての根本的責任です。
主イエスが「貧しい者は幸いです」と言われた時、21世紀のこのような状況は想定されてはいなかったでしょう。しかし、私たちが実際の生活において貧しく生きるための努力は、そのようなレベルに至るまで求められているのだと思います。」

出典CS成長センター「成長」より

「私が子供の頃は、こんなに豊かではなかった」という思いがある。
その反動もあってか、親として子供には「不自由させたくない」「楽しませてあげたい」という気持ちがある。

「貧しい者は幸い」? いや、どう考えたって、「豊かな方が幸い」と思えてしまう。

でも、「暑い」と言ってはすぐにエアコンのスイッチをつけながら、ふと「これから温暖化し、電気の供給が間に合わない事態になったら、エアコンに頼ることしかできない子供は危険なのではないか?」とか、「お菓子やおもちゃなど、なんでも与えられすぎているのではないか?無いことにも耐えうるたくましさが、わが子には備わっているだろうか?」と考えさせられる。

現在の日本で「清貧に甘んじるマザーテレサのような生活」をよしとする人は少ないだろうし、「人としての生き方」を考えるのはまた別に時間が必要だ。

それがいいとか悪いとか以前に、気付いた時に一度立ち止まり、大量輸入し大量投棄する国「日本」と自分たちの生活を顧みる必要がありそうだ。

ameblo;牧師の妻・こころのブログ

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