昨年6月に世界文化遺産に登録された富士山。今夏も多くの登山客で賑わっていることでしょうが、その立ち姿の美しさと、標高3776mの国内最高峰ということで、古くから日本人に愛されてきましたし、信仰の対象でもありました。
そんな日本一の富士山が、日本一でなくなった時期があったこと、ご存知でしょうか。

ヒントは真珠湾攻撃の暗号にあり

1941年12月、太平洋を密かに東行する日本海軍の連合艦隊に打電された暗号「ニイタカヤマノボレ」。日米交渉の決裂を受けて、かねてより計画されていた真珠湾への攻撃の実行を命じたこの暗号文は、当時日本一の標高を誇った山、新高山を取り入れたものでした。そう、当時富士山は日本で2番目に高い山だったのです。

日本一の新高山とは?

新高山は、現在は玉山と呼ばれている台湾中部にある山で、標高は3952mと富士山を200m近く上回っています。日清戦争の賠償で清から譲り受け、台湾は日本となりました。その際明治天皇が新高山と名付けたとか。それ以来敗戦により台湾を失うまで、学校などでも新高山が日本一の山だと教えていたそうです。

わずか半世紀程の期間ではありますが、日本一のから陥落していた富士山。しかしその姿形の見事さは、今も昔も日本一ですね。

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